12. 想定外の問答
視界が揺れる。呼吸が浅くなる。
なんで。その言葉だけが頭の中に響く。
「皇帝の所有物である宝石人を解放したいと思っている。平民を装っているわりには所作が美しい。僕に対して物怖じしない。決め手はエスコートを受け慣れているというところかな」
指を折りながら私の正体に辿りついたヒントをあげていくジェローム様。髪は染め粉で染めているのかな、とそこまで見抜いた彼はそのまま私の目の前の席に腰掛け、考えの読めない瞳で私を見つめた。
突然正体を突き止められた状況で、咄嗟に取り繕えるほど私は出来た人間ではない。顔を強張らせて黙り込んでいると、ジェローム様はふっと安心させるような笑みを浮かべた。
「そんな顔しなくても、別に君を捕らえようなんて思っていないよ」
「……え?」
「むしろ君がタレイアの王女であることが間違いないなら、僕は君に謝罪をしなければならない」
目の前に広がる光景に、私は目を見開いた。
ジェローム様が私に向かって頭を下げている。
「カトレア王女。貴女の家族と故郷を奪った罪を、心よりお詫び申し上げる」
真摯な姿勢から、ジェローム様の言葉が心の底からのものだと理解する。
それでも、突然降ってきた敵の国の人間からの謝罪をすぐに受け入れようという気にはなれなかった。
「……皇太子が、頭を下げることの意味を分かっていますか?」
「無論、理解しているよ」
「私が貴方の言葉を国の意思と捉え、過大な要求をすることもできるんですよ。皇帝の意にそぐわない発言をすればジェローム様であっても皇帝に目をつけられる危険性があるのではないでしょうか」
「心配してくれてるんだ」
「当たり前です」
真っ直ぐジェローム様を見ると、彼は眉尻を下げて私を見返した。
「君を苦しめてきた国の人間に情けをかけるなんて、並大抵の人間にはできないよ」
「心配はしますが、謝罪を受け入れたわけではありません。許すかどうかと聞かれたら許さない気持ちのほうが強いです。……それに、謝罪をしてもらうにせよ、それはジェローム様からではなくあの男から聞きたい」
彼は当然だとでも言うように頷いた。
そして過去に思いを馳せるように目を細める。
「……言い訳のように聞こえるかもしれないけど、タレイア侵攻について僕は反対の立場だったんだ。ただ、当時僕はまだ成人もしていない子どもだったから、父上は聞く耳を持ってくれなかった」
「……」
「少し考えれば分かる話なのにね。タレイアがこの世界に必要な存在だったってことが」
目を伏せてジェローム様の話を聞いていると、途中で椅子を引く音が聞こえた。
目を開けるとすぐそばに片膝をついたジェローム様が私を見上げていた。
「……タレイアという国が消えた日からずっと心に決めていたんだ。もしいつか、姿をくらました王女が僕の目の前に現れる日がくるのならば、その時は父上を敵に回してでも味方になろうと」
「──」
「だから今ここで誓うよ。ジェローム・ジルベッタはカトレア・リオ・アンベリール王女の味方であり続けると」
「何を、言ってるんですか」
タレイアの悲劇はあくまで皇帝の一存により起きたこと。
ジェローム様がタレイアに対して罪悪感を抱いているとはいえ、皇帝への反逆と捉えられかねないリスクを犯してまで私の味方をする必要は一切ない。
なのに、どうしてそこまで覚悟を決めることができるのだろうか。
「私に協力するメリットはないと思いますが、どうしてそう決めたのか教えていただけますか」
「僕の体を治してくれたお礼をしたいから、というのが一番の理由かな」
「……え?」
ジェローム様は立ち上がると、私に背を向けタレイアがあった方向へと顔を向けた。
「先生に教えてもらったんだ。僕の病気が完治できたのはタレイアの作る薬のおかげだと。だから、先生だけでなくタレイアにも返しきれないほどの恩がある」
昨日の薬屋の店主との会話を思い出す。
タレイアのおかげで救われてきた人がたくさんいる。それをこうして実感してみると、自分のおかげではないものの誇らしげな気持ちになる。
それと同時に私は察した。ジェローム様に使われた薬のもとになった薬草が万能草だと。
私と出会う前の師匠がどうやって万能草を入手したのかは分からないが、どんな医者にも治せなかった難病が完治するということは、きっとそうなのだろう。
「たとえ父上を敵に回すことになっても、別にそれはそれでいいと思ってるんだ。父上に引退してもらう良い機会になるだろうし。あんな体たらくじゃ、帝国の未来は暗澹としたままだから」
厳しい言葉に私は目を瞬いた。
キャロライン様と皇帝の関係は良好そうだったから、ジェローム様と皇帝の仲も良いものだとばかり思っていた。
ジェローム様の背中を見つめ一つの結論を出した私は立ち上がり、彼のそばに立つ。
そしてジェローム様が私の方は体を向けたのを見計らい、頭を下げる。
「心強いお言葉をありがとうございます。今後困るようなことがあればその時は助けていただけるとありがたいです」
「勿論」
「ちなみに、私はもう王女ではないので、これまでと同じように呼んでください」
「……分かったよ、リオ。それじゃあ、宝石人の件に話を戻そうか。元はと言えばその話をしていたのだし」
私がこくりと頷くと、ジェローム様は真面目な顔で自分の胸あたりをトントンと指で叩いた。
「父上は首に鍵を下げている」
「鍵……?」
「そう。なんの鍵かは分からないけど、きっと大切な物が置かれた部屋の鍵だろうね」
含みを持たせた言い方にハッとする。
つまり、私の家族の遺骨が置かれている場所の鍵ということだ。
「ありがとうございます……!」
「とはいえ父上の周りは常に護衛がいる。それこそ先生でもない限り、その鍵を盗むのは難しいだろう」
「……そうですね」
「先生を巻き込むの?」
「いえ、師匠を巻き込むつもりはありません。方法はこれから考えます」
私の言葉にジェローム様は頷くと、私の手を取った。
「いきなり僕が大々的に動くわけにはいかないから、できることは限られてくるけど、いつでも呼んでね。──君の成功を願っている」
そう言って私の手の甲にキスを落とした瞬間「きゃっ」と黄色い悲鳴が上がった。
ん? と私とジェローム様が声のした方を見ると、少し離れた茂みからキャロライン様がこちらを覗いているのが見えた。
「……キャロル、そこで何をしているんだい?」
「そ、その、リオがお兄様の居場所を教えて欲しいって言うから教えたのだけど、二人で何を話すのか気になってしまって……つい。あ、でも話の内容は聞こえなかったから!」
覗き見がはしたないことだとは思っていたのか、姿を現したキャロライン様は恥ずかしげにそう言いながら私たちのもとへやってきた。
話の内容までは聞いていなかったということで安堵する。
「でも、噂は本当だったのね!」
「……噂?」
「城中は今お兄様たちの噂で持ちきりなのよ。皇太子に春が訪れた! って」
「「……」」
思わずジェローム様を見上げると、彼は思い当たる節があったのか、私の視線から逃げるように顔を逸らした。
まさか、よく分からない告白をされた時のことを誰かに見られていたということだろうか。
「キャロライン様、それは誤解です。皇太子殿下と何度かお話させていただいたことはありますが、決して恋仲などでは……」
「あら、お兄様の片想いということ?」
「そういうことだ」
「ジェローム様!?」
ここは否定してくれないとさらに揶揄われるではないか。
恨みがましげにジェローム様を睨もうと思った時、彼はキャロライン様に聞こえない声で私の耳に囁く。「正体がどうであれ、結婚してほしいという気持ちは変わってないよ」と。
思わず顔が赤くなる私を見たキャロライン様が「あらあら」と嬉しそうに微笑む。
「わたくしは反対しないわ。お兄様頑張って!」
「ありがとう、キャロル」
「はは……」
これ以上否定したところで話は平行線になることは分かっていたので、私は痛む頭をさすりながら遠い目をするしかなかった。
兄妹はまだお茶を飲みたいというので、私は一足先にお暇することにした。
これから先の動きを考えながら庭園を歩いていると、いつの日かと同じようにグレイが正面から歩いてくるのが見えた。
私の目の前までやってきたグレイは、無表情に私を見下ろす。
「少しお時間いただいてもよろしいですか?」




