1. 凱旋パレード
ドタバタと忙しない足音が耳に入り、溜息を吐いて作業の手を止める。他の宿泊客もいるのだから少しは配慮してほしいものだが、足音の主にそれを諭したところで徒労に終わるのは目に見えていた。
「リオ! お前もパレード見に行こうぜ!」
勢いよく扉を開き、満面の笑みを浮かべながら部屋の中に入ってきた兄弟子、テオ。目を輝かせながら肩を上下させる様子を見るに、パレードとやらは彼の好奇心をいたく刺激したらしい。
「もう少し静かに入ってきてください」
「分かった分かった。で、もちろん行くよな?」
「はあ、……なんのパレードですか」
「この国が隣国との戦争に勝ったのはお前も知ってるだろ? その凱旋パレードだよ。しかもなんかすげえ武功を挙げた騎士がいるらしくて、そこの大通りを今から通るらしいんだよ!」
道理で今朝から喧騒が止まないと思っていた。
朝から抱えていた疑問が解消されたことでスッキリした私は「そうなんですね。私は遠慮しておきます」と小鉢の中身を擦る作業を再開する。
するとテオは分かりやすく頰を膨らませた。
「リオさあ、少しは外の世界に興味を持てよ」
「持ってますよ。現にこうした薬草に興味はあります」
「それは仕事だろ」
「いいんです。私はこれで」
「意味分かんねえ」
ぐるぐるぐる。緑色の葉がすり潰されていく様子を眼鏡のレンズ越しに見つめながら、時折乾燥させた別の種類の薬草を追加していく。
複数の薬草を混ぜ合わせることにより、通常の頭痛薬よりもより効果の高い物が出来上がる。言葉にするのは簡単だが、その実、薬草の質、配合量、順番どれを間違えても一瞬でただのすり潰された草になってしまうのだから難しい。
師匠により課された課題なのだから難易度が高くて当然で、だからこそ集中する必要がある。つまり、テオにかまっている暇などなかった。
「テオだって課題があるんですから油を売っている暇なんてないのでは?」
「ぐっ……息抜きだって必要だろう!」
「この国に来てからテオが仕事をしているところをほとんど見ていない気がしますが」
「〜〜う、うるせえ! むしろリオが働きすぎなんだよ! いいから行くぞ!」
「あっ」
テオに腕を取られ強制的にパレードが行われている通りに連れて来られた私は、被ったフードの下で敢えて不満顔を作って目の前を通り過ぎていく晴れやかな顔をした騎士たちを眺める。
そんな私の様子に気付いたテオは、少しだけ申し訳なさそうな顔をして私の薬草臭い手を離した。
「……悪かったよ、勝手に連れて来て。でもこうでもしないとリオ休まないしさ」
「お気遣い、ありがとうございます」
確かにここのところ根を詰めすぎていた事実は否めない。特にここネルゾン帝国に来てからは宿から一歩も外には出ておらず、食事や睡眠もろくに取っていなかった。
生まれつき人より白い肌が余計に青白くなっていくの私の様子に、そばで見ていたテオはとうとう見ていられなくなったのだろう。兄弟子の不器用な気遣いに溜飲を下げるしかなく、私は歪めていた口を元に戻した。
それと同時に少し離れた場所にいる見物人から一際高い歓声が上がった。その歓声は押し寄せる波のごとくこちらに向かって大きくなっていく。
群衆の盛り上がりが先ほどと比べて格段に増したのを肌で感じる。テオも燃え上がる空気に感化されたのか、一層の興奮を見せていた。
「さっきオレが言った英雄が来るんだよ!」
「みたいですね」
この数十年で近隣諸国に留まらず世界中に勢力を広げている帝国、ネルゾン。その勢いはこの五、六年でさらに増し、今では世界一と言われるまでの武力を持つ国となった。その脅威は、昨今の無条件降伏を受け入れる国の多さから窺い知れる。
帝国を支える帝国騎士はネルゾン国民にとって憧れの対象であることは言うまでもない。ネルゾン帝国のナショナルカラーである赤い軍服を身に纏うことは、この国の少年たちにとって大きな夢となっていた。
そんな帝国騎士たちの英雄が今から目の前を通るのだ。興奮するなというほうが無理な話なのだろう。
その一方でこの国の英雄とやらに興味の欠片もない私は、無表情のまま集団の先頭で馬を走らせる一人の騎士の姿を視界に入れた。
瞬間、全身が強張った。
「……うそ」
心臓は早鐘を打ち、瞳が動揺で揺れる。
変な言葉が出てしまわないよう戦慄く唇に手を押し付けた。
揺れる紺碧の髪、観客の姿を映すことのない琥珀色の瞳。整った顔立ちは、綺麗だからこそ人形を眺めているような感覚に陥る。だからこそ笑みの一つでも浮かべればより魅力的に見えるだろうに、表情が変わる気配は微塵もなかった。
彼が、英雄。周囲の視線からしてそれは疑いようのない事実だった。
「リオ? どうした?」
様子のおかしい私に気付いたテオが心配気な視線を送ってくる。しかしテオに返答できるほど、今の私は冷静ではなかった。
まさかこんなところで再び彼を見られるなんて、想像さえしていなかったのだから。
困惑、郷愁、罪悪感。様々な感情が湧き起こっては私の涙腺を刺激していく。けれど交錯するそれらを静かに呑み込んで、一つ息を吐く。
どうして。なぜ。聞きたいことはたくさんあった。
しかし、今さら私が彼に話しかける権利があるはずもないことは分かっている。
彼が元気にしている。それが知れただけで十分だった。
かつての私の従者が母国を滅ぼした国の英雄になっていようとも、私にはもう関係のない話だ。