12、サトミちゃんなら大丈夫
夕暮れの町を、黒尽くめの少女が歩いていた。
セシル・ゲート、ボディガードの女だ。
フードをかぶった女はふと後ろを振り向き、小走りに人の多い、店の建ち並ぶ商店街へと向かう。
夕方の食事や買い物客の多い中で、かえって彼女の黒尽くめの姿が目立つ。
サッと一軒のパブに入ると、厨房へと消えた。
無言でチップを店主に渡し、裏口から出て行く。
あとを追う男たちが、慌ててパブへ駆け込む。
中をどんなに探しても居ない。裏口を探していて、怪訝な顔の店長に肩を叩かれた。
女が裏口の先の路地を進み、後ろをちらと見て古いアパートに入ると、階段を駆け上がった。
フードケープを脱ぎ、マジックテープで付いている黒い裏地を剥がして裏返す。
すると黒いコートがグレーのケープに替わり、彼女はそれで刀を隠すように腰のベルトにフードを通して巻き付けた。
アパートの3階に出ると、廊下の窓から隣の小さなビルの非常階段の手すりに飛び移り、階段を最上階まで上ってまた手すりに飛び上がり、そこから屋上へと飛び上がった。まるでニンジャだ。
屋上の無機質なコンクリートの平地で、勢い余って翻り、バック転する。
着地と同時にキヒッと笑い、パンパンと手を叩いて汚れを払った。
「久しぶりに追われましたねー、あたいのレーダーも兄ちゃん並みになれたかな?
んー、何だろ?あたいが殺した奴のかんけーしゃかな?
しつこく追ってくるとか、マジうぜえ……
あー、チビとかちっぱいとか、ロリータとか、ほんとクソ野郎どもが好き勝手言いやがって。
お父ちゃんの野郎、もっといい仕事もってこいっつーの!
しかも何よ。やってる事、人身売買じゃん。
一掃してさ、あー!マジ、世の中すっきりしたんじゃね?ざまあっての!
ほんじゃ、かーえろっと!」
ビルの内階段を使おうと思ったら、鍵がかかっている。
「オゥーマイゴッド、There is no god!(神なんていない)」
このビルは、屋上まで非常階段が来てないが、5階の踊り場まではちょっと飛び降りればいい。
ふと、屋上の縁から下の路地を見回して、誰もいないのを見ると縁に立つ。
「キヒッ!here we go!」
ニイッと笑って大空に両手を広げ、グラリと身体を縁から倒した。
視線が地平線から地面ヘと変わる。
落ちる、 落ちる。
落下する風を受けながらくるりと身を翻し、横壁をトンと蹴る。
隣のアパートの壁に、トンと足を突いてくるりと翻り、四つ足で着地した瞬間、ポンと跳ね上がる。
一度バックにねじって両手を広げ、着地した。
「セシルちゃん、見事100点満点です!」
キシシシシ……
笑って顔を隠していた迷彩のスカーフを外して畳んでポケットに入れ、ウエストポーチからベージュのベレー帽を取ってポンとかぶる。
その顔は、サトミとうり二つだ。
ロンドでは小さい頃から、いつも双子と間違われていた。
窓に映る自分の姿を見ながら、帽子を直す。
帽子は変装のカモフラージュ。
ギュッとかぶった拍子に幅の広いヘアバンドが、少しずれたので直した。
「うん、もう、こいつう。
お母ちゃん、ちゃんと郵便局行ったのかなあ。
二人ともさあ、ちょっとはお兄ちゃんの事、心配してよね。」
ベルトにつけていた黒いウエストポーチを外し、裏返していく。
チェーンの取っ手を出して、バッグの口を可愛いお花のボタンで留めた。
可愛いピンクのポーチができあがり、たすき掛けにしてスキップ踏んで家に向かう。
途中、雑貨屋のおばちゃんが手を上げた。
「あら、セシルちゃん!今帰り?お母さんに頼まれてたの、入荷したから!」
「おばちゃん、こんちわ!なあに?」
「ジャパニーズシューユ!仲買が2本譲ってくれたのよ。ちょっと高いけどいい?」
「マジィ??!!おばちゃん、あたいが貰っていく!
ヒャッホー!これでニクジャガが食えるじゃん!」
醤油2本買って、抱きしめてニッコニコで家に走る。
アパートの階段を駆け上がり、自宅のドアを足で蹴って叩いた。
「お母ちゃん!ショーユだよお!オショーユ!」
「んまあ!お醤油?!まあ、まあ、お醤油?まあ、お久しぶりだわ!」
ドアが開いて、白い割烹着が目に飛び込んだ。
黒髪胸までのストレート、切れ長のちょっとたれ目、ほっそりしているが妙に胸が大きい。
日系美女と言うには微妙なハーフだ。
おっとりと、醤油を見て嬉しそうに、ぷるんとした唇でチュッとボトルにキスをした。
今のアパートはロンドを出て3件目だ、だからガランとして最低限の物しか無い。
ロンドには長く住んだので物が多かったけど、お母ちゃんは畑でどんどん燃やして埋めてしまった。
それでも、お母ちゃんがお兄ちゃんの為に点字で起こした教科書や副本だけは、お兄ちゃんが大事にしていた点字の本だったので、燃やせないねと置いてきた。
お母ちゃんは、それから時々家に速達を出して、受け取りがあるかないかでお兄ちゃんの様子を見ている。
戦後の世界で、お父ちゃんたちは何から逃げているのか知らない。
あたしたちは、外では偽名で通して身元を隠していた。
「でさ!郵便局行ったの?お兄ちゃんは?」
「行ったわよ〜、でもね、また戻っちゃってたの。
サトミちゃん、どこに行っちゃったのかしら。それともお家がわからないのかしら?」
クスンと浮かぶ涙をふいて、醤油を抱きしめる。
「えーーー!!マジィ??!!だって、ちゃんと会ったんだよ?あたいと夢で会うって事は、こっち戻ってきてるんだってば!
お母ちゃん、ちゃんと家に出してんの?!
何度出しても不在で戻ってきてるじゃん!」
「ま!ひどいわ、ミサトちゃん、お母ちゃんは住所も書けないと思っているのね!
きっと速達の人が、ここは人いないからいいよね!って、戻してるんだわ!そうよ!
ほら!ちゃんと間違い無く、ロンドの13区画の23番通り32の8って……」
何度も何度も出してヨレヨレの封筒を見ると、32番通り23の8と書いてある。
「「 あーーーーーーーーー!!!!! 」」
「お母ちゃん!間違ってるじゃん!マジ?マジ馬鹿ですかーーー!!??」
真っ赤な顔のお母ちゃんが、ショックで思わず後ろによろめいた。
「ひどいわ、ミサトちゃん、ボーッとしてるだけなのに、お母ちゃんを馬鹿だなんて。
大丈夫よ、もう一度ちゃんと出してきたから。
こっちは間違い無く……」
速達控えを見ると、
“ロンド13区画32番通り23の8 MR. アダム・スミス”
「 はあーーーーーー???? 」
なんで?なんで長年住んだ家の住所まちがえんの?はあ?
その家、がんばって買ったのよって、耳にタコできるくらい苦労話聞かせるクセに、なんで間違えんの?
アダムスミスって誰よ?ホワイ?
「はぁ?マジですか?馬鹿ですか?オゥーマイゴッド、神なんていない!」
「あらやだ、そんな事無いわ。きっとね、サトミちゃんなら大丈夫よ。
きっとサトミちゃんなら。だって、サトミちゃんは凄いんですもの。」
「はぁ?違う住所に違う名前で出してんのに、大丈夫も無いでしょ?
23番通りと32番通りなんてぜんっぜん違うとこ!
何が凄いのよ!はあ?ちょ、届く訳無いじゃん!兄ちゃんは神か?!」
「んんん!サトミちゃんなら、きっと大丈夫なの!だって、サトミちゃんですもの。」
げんなり。
誰かこの、頭にカビはえてるお母ちゃんをどうかして下さい。
この二言目には“サトミちゃんなら大丈夫”の信仰は、一体なんでしょうか?
お兄ちゃん、同情するぜ。
強くイキロ
と、言う訳で、少女はサトミの妹ミサトです。
サトミのお母ちゃんも出てきました。
彼女は日本人ですが、お母さんが外国人なのでサトミとミサトはクオーターになります。
お母ちゃんは押しかけ女房、ふわっとした、ぼんやりした美人です。




