夜に咲け微かな煙
入道雲が綻び、イワシの群れになりはじめる程度には、風に秋が混ざり始めていた。虫の声も昼のセミではなく夜の鈴虫とコオロギが主役となり始めてはいるが、夏の最後の意地なのか微かに残る湿度で空を低く見せ続けている。朝顔の花よりなお淡い、そんな季節の狭間で、幼馴染みの涼と鈴音は河原に集まり、『買い込んでおいて使っていなかったからあげるよ』と、後輩に急遽押し付けられた花火に火をつけようとしていた。
「ロケット花火とネズミ花火が多いね……半分くらいかな……」
「多分あいつは純粋に自分が欲しいものだけ買ったんだと思うぞ……嫌がらせかと思ったけど……」
涼は呆れながらロケット花火を手に取り、火を点けて誰もいない川に向けてそれを放った。
シュッ、パーンとご機嫌な音が鳴る。思ったより遠くまで飛ぶんだなと涼が感心していると、後ろ側でシュパパパパと音が鳴り、しばらくして「うわーーー」とそこそこ大きい声が響いた。
「びっくりした……ネズミ花火ってこんなに派手なんだ……」
茫然自失の鈴音を見て、涼は思わず指を差して笑ってしまっていた。
「なーーーにしてんだよ鈴音、そんなびっくりしなくてもいいだろ?」
「いやーーーだってあんなに大きな音と煙がいきなり出るんよ?びっくりするよ……」
「それなら二回目は心の準備ができてるから大丈夫だよな」
涼はそう言うや否や、いつの間にか手に持っていた大量のネズミ花火に一気に火を点け、辺りにばらまいた。
「あーーーー!なんするん!」
「はっはっはっはぁ!隙を見せる奴が悪いんやで!」
邪悪ななにかが乗り移ったのか、ちょろちょろと動き回るネズミ花火を避ける鈴音を見て、涼はどこまでも楽しそうに笑った。
しばらくして煙も音も治まり、地面に座り込んでしまった鈴音は息も絶え絶えで「もーーーー」と唸っていた。
「悪い悪い、つい調子に乗っちゃったわ」
そう言って涼はザキさんの肩を叩きながら、普通の手持ち花火を差し出した。鈴音はよいしょと立ち上がり、そしてしゃがみ込んで花火に火を点けた。
シャーっと柔らかな音が少しずつ鋭さを孕もうとしている風に溶け、硝煙の香りは夏の残り香として光を曇らせた。
「火、分けてくれ」
「うん」
涼は鈴音の花火を少し自分の方に寄せ、自分の持っていた手持ち花火に火を移した。鈴音の火は赤、涼の火は緑であった。
「補色だねーーー」
「光の三原色は違うはずだろ」
「そうだけども」
しばらく無言で二人は周囲の煙の濃度を上げ続けた。風は柔らかに二人の周りの火薬の香りを晴らそうと吹くが、しかしながら秋になりきれていないそれは強い匂いに抗うにはあまりにも淡すぎた。
最後の一本を取ろうとした時、お互いの手が重なった。
「鈴音持ってっていいよ」
「いいの?ありがと」
思わず手を引っ込めてしまった涼はまるで、自分の中の感情を無理やり無視するかのように鈴音に最後の花火を譲った。無邪気に喜ぶ横顔をぼんやりと眺めるのも悪くはない、そこに邪な感情などない、言い聞かせながらよしいさんはいつの間にやらいわしの群れが去っていった空を見上げた。
「あーあ、終わっちゃった」
「いや、まだあるはずだぞ」
最後の花火が燃えかすになり、残念そうな鈴音を見て涼はすっかり奥の方へやられて忘れられていた線香花火を取り出した。
「もう少しだけ遊べるな」
「よかったーーー、もう少し一緒に居たかったんだ」
それってどういう意味?と思わず聞こうとした涼は必死で想いを留めた。きっとこいつは俺みたいなことを考えてはいないだろうとバレない程度に唇をかんで。代わりにそれを線香花火に託して、せーので火を灯した。
この儚い提灯ができうる限り長く続いてくれ。涼は柔らかな風すらも止むよう必死で祈りながら静止を保っている。
頬を撫でるのは風ではなくて、出来ればーーー。