絵本(メイフェアXN12Aの昔語り。その2)
六十名の搭乗員の方々については、名前も顔ももちろん覚えています。
その中でも特に印象的だったのは、秋嶋シモーヌという女性です。
腰まで届く艶やかな栗色の髪を後ろで束ね、小柄で実年齢よりも若く見えたその女性は、絵本が好きな方で、彼女の自室には本棚いっぱいに絵本が揃えられていました。そしてそれをよく私に読み聞かせてくださったのです。
私はロボットですから、内容だけならネットワークを検索すればすぐにも確認できたのですが、シモーヌが自らの声で読み上げてくれるそれは、私に不可思議な安息をもたらしてくれました。
彼女が読んでくれる絵本が、私も『好き』でした。そう、『好き』という感覚を理解できる能力を、私達は与えられていたのです。当然、それ以外の感覚も理解できました。『嫌い』、『嬉しい』、『悲しい』。そういうものを、私達は、ロボットでありながら理解することができたのです。
だから私は、彼女のことが、秋嶋シモーヌのことが『好き』でした。
今から思えば、それ自体がある種の実験だったのでしょうね。人間とロボットの関係性を模索する為の。メイトギアの中で唯一、セシリアCQ202だけはそのようなアップデートは行われていませんでした。私達との差異を検証するためだと思われます。
ですが、それも私達にとっては特に問題ではありませんでした。
コーネリアス号にトラブルが生じるまでは……
N8455星団が非常に強力な電磁波異常を生じる宙域であったことは分かっていましたが、それに対応できるだけの対策は施されていました。理論上は問題なかった筈なのです。それ以前に行われたロボット船での調査でも問題なく帰還することができましたので。
でも、今から思えばその想定が間違っていたのでしょう。人間はN8455星団の危険性を理解できていなかったのです。
結果、コーネリアス号は主機関に致命的なダメージを負い、当時はその存在すら確認されていなかったこの惑星に不時着することになりました。電磁波異常に加え、重力異常、空間異常が生じている…、いえ、確実にそれを確認できた訳ではありませんが、物理攪乱現象さえ生じていたことを窺わせるデータが観測されています。恐らくそれが原因で、ロボット船での調査でもN8455星団の危険性を把握できず、またこの惑星も発見できなかったものと思われます。物理法則の一部が通用しない空間であった可能性があります。
コーネリアス号に搭乗していた科学者の中には、N8455星団そのものが、別の宇宙のブラックホールの出口、<ホワイトホール>なのではないかと推測した方もいらっしゃったくらいでした。




