万物の霊長(と人間が自称し始めて数千年)
光と順が上手くやれてるのかどうか気になりつつも、俺達は俺達でいつものように過ごした。
セシリアが家のことをしてくれているのを、シモーヌと灯がそれぞれ手伝う。エレクシアとイレーネは建物のメンテナンスだ。
焔も新も、さすがに以前のように激しく動き回ることもなくなったし、順はずっと寝てたから光との仮説の家の方の破損そのものは少ないものの、そもそも『壊れたら直す』という前提で作ってる家だから、耐久性という意味じゃ実に頼りないんだよな。
スコールがきて滝のような雨が叩きつけると、それだけで屋根が傷む。
だから人力だけで維持してると、たぶん、家の修理だけで一日が終わってしまう日が少なくないだろうなっていう感じだ。
本当にロボット様様だよ。人間の偉大な発明の一つだと思う。ロボットとのいい関係が成立するまでの間にはいろいろと紆余曲折もありつつ、今ではきちんと<道具>と<道具を使う側>とで節度をわきまえた付き合い方ができつつあると思う。
まあそれでも、ロボットの存在そのものが、
『生理的に無理』
っていう人間は一定数いるから、<ロボット排斥テロ>なんてのがなくならないんだろうけどな。
それは、人間に課せられた今後の課題というものなんだろう。
人間が自らを<万物の霊長>などと称し始めてからすでに数千年。いまだにその自称に相応しい存在になれたという印象まではないものの、しかし着実に歩みは進めてるんだろうなという実感は、こうして人間社会を離れて客観的に見られるようになったからこそある気がする。
実際に人間社会の中で暮らしてると、どうしても自分の周りにある身近な問題に気を取られてしまって、俯瞰で見るとか客観的に見るとかいうのが難しくなってしまうのも人間という生き物の習性なんだろう。
そのこと自体は決して『人間は愚かな生き物だ』っていうことではなくて、きちんと目の前のことを見て生きていくのには必要なことだと思うんだ。先ばかりを見詰めて足元を疎かにすると思わぬことで躓いたりもするだろうし。
そうだ。一見、欠点のように見える部分だって、状況が変わったり見方を変えるだけでまったく異なる意味を持つようになることだってあるんじゃないだろうか。今の人間社会では忌避されがちな<攻撃的な気性>といえど、外敵と戦うには必要なものでもあったしな。
その部分もロボットが担うようになってからは、スポーツや格闘技の世界でしか発揮できなくなってしまったが。
迂闊に攻撃性を発揮すると犯罪に直結するし。
そういうタイプの人間には暮らしにくい世の中になったとも言えるだろうな。