キャサリン編 リラックス法
「本当に無理はしないでいいから」
俺はそう声を掛けるもののサディマは、
「いや、これが私にとってのリラックス法なんだ」
と微笑って応える。まあ俺も延々と『自分の考えを綴る』のは苦にならないどころかむしろ落ち着くしで、それと同じだと考えれば『なるほど』と思わなくもない。
他人から見ればとても休まらないように見えるものであっても当人にとっては『気が休まる』『落ち着く』『ストレスが和らぐ』というものは確かにある。他人がそれについてとやかく言うのは、せっかく本人が安らげているのに台無しにする行為だろうなとも思う。
だから俺は、サディマが<朋群製AIのアルゴリズム作成>に携わろうとするのを止めないことにした。
「まあそれが賢明だと思う。私達のチームのメンバーは、ルイーゼを筆頭に<変わり者>揃いだからね」
シモーヌがそう言って笑ったのを俺も、
「俺も人のことは言えないしな」
と苦笑いで返した。だがそもそも人間はそれぞれ違うわけだから何をもって<普通>と称するかはずっと議論の的ではある。むしろ厳密には『普通なんてものは存在しない』と言った方がいいんだろう。<普通という概念>自体がまず、
『マジョリティに属することで自分に価値があると考えたい人間のエゴである』
という説すらあるわけで。考えてみれば野生の生き物には『普通か否か』なんて発想すらないだろうし。一般的に見られる習性と違うことをしていてもそれによって生き延びたのならその個体にとってはそれが正解だったわけだし。
野生における<普通>は、
<多くの個体が生き延びることができた振る舞い>
というだけでしかなく、状況によっては必ずしもそれが正解とはならないし、そもそも意識すらしていないだろうな。
野生のクマも餌付けされたら人間を恐れなくなったりすると聞く。本来は人間の気配を感じたらむしろ逃げるらしいのにな。だからもうそこで『普通じゃなくなる』と。
そうなるのが分かっているから今は人間社会と野生の環境とは厳格に分けられているんだ。つまり<野生の普通>は人間の側が守っている、と言うか『侵さない』ようにしているのが実情なわけで。
それらを承知した上で考えれば<普通>なんてのは本当に曖昧で頼りなくて実体のないものなんだと分かる気がする。
となればサディマの<リラックス方法>についても他人が口出しすることじゃないよな。そこは彼自身に任せるさ。
明らかに体調がおかしいみたいな状態にならない限り。




