未来編 それこそ親不孝
『親が子供に対して理不尽に接したからこそ子供がハングリー精神を発揮して大きなことを成し遂げる人間になった。なんて事例があったとしてもそんなものは無数にある似たような事例の中の例外的な話でしかない』
それは事実だと強く感じる。そんなことが本当に当たり前にあるんだとすれば、
<成人した子供とその親との確執>
なんて<ありふれた話>として存在してるとは思えないし。
メイトギアが普及したことで<老化抑制処置の効果が切れて老化が進み介護が必要になった親の介護>について負担は大きく減ったものの、だからこそ、
<親の介護については完全にメイトギアに任せきりで自分は何もしない子供>
の存在もはっきりと確認されるようになってしまったそうだ。それを理由に子供への遺産相続を拒む親と子供が裁判で争うなんてことも実際にあって、その際の証拠として<メイトギアが記録していた映像と音声のデータ>が提出されるのが一般的なんだよ。で、子供の側も<親との関わりを避けたかった理由>として同じように<メイトギアが記録していた映像と音声のデータ>を提出してくると。
実に泥沼な話ではあるものの珍しくもないというのが現実なんだ。つまりそれだけ、
『親の在り方に強い不満を抱いている子供が多い』
ということだな。にも拘らず綺麗事で親子関係を語ろうとするのは本当にどうなんだろうと俺は思う。
もちろん<子供に何一つ不満を持たれない親>なんてのはいないだろう。俺自身、光や灯には、
「まあ、お父さんに対して不満がまったくないってわけじゃないけどね」
とは言われてるし。努力はしてるつもりでも完璧とはいかないのが現実なのも分かってる。でもだからといって『そもそも努力をしない』というのは話が違うだろう。その辺りの努力がまったく見えなかったらさらに子供の方も不満を募らせるだろうし。
俺が自分の両親を尊敬し感謝できているのは、完璧ではなくても努力はしてくれてるのが感じられたからというのが大きいと思う。
それがなかったらきっと俺もあの人達のことを軽蔑してしまっていただろうな。それなりに<人間らしい駄目な部分>もある人達だったから。
それと同時に『駄目な部分にただ甘えてるわけじゃない』のを見せてくれてたんだ。<人間の親>としては本当に真っ当な人達だったと実感する。自分が<親>になったからこそ。
『それを役立てなくてどうするんだ?』とは思うよ。せっかく<手本>を示してくれていたというのに活かさないとか。
それこそ<親不孝>ってもんじゃないか?




