未来編 それが肝なんだろう
『受け止めてあげたいと思ってもらえる人間でいられるかどうかが大事』
他人と深く関わる上で結局のところそれが<肝>なんだろうとつくづく思う。それを蔑ろにしてただただ自分だけが好き勝手にしようとしていたら反発を覚えた相手に足を掬われることになるんだろうな。
<反発を覚えた相手>はどうにかして陥れてやろうと虎視眈々と狙っていたりするだろうし。
自分のことを思い返してみても実感があるんじゃないか? ムカつく相手が脇の甘いところを見せたらそこを突いてやろうと思ったりするんじゃないか?
もちろん『すべての人間からよく思われる』なんてことは不可能だとも思う。これも『他人がすべて自分の思い通りになってくれることはない事実を物語っている』わけで。
でも明らかに他人から反発を受けるのが疎まれるのが分かりきっていることをわざわざやろうというのはどうなんだろうと思うんだ。
芸能人やインフルエンサーを含む様々な著名人についても、普通に考えれば少なくない人から小さくない反発を招きそうなのは分かりきったことをするのがいるのは何なんだろうな。単純に『自分こそが正しい』と思っているからそれが他人の反発を招くのが理解できないのか、それともわざと他人からの反発を招いてそれにびくともしない自分を誇示したいのか、それこそただただ他人の関心を引きたいのか。
『ただただ他人の関心を引きたい』ってのは、子供が親の関心を引こうとして悪戯をしたり大きな声を出したり乱暴な振る舞いをしたりするのと同じ心理のような気がする。つまり、
『大人になれてない』
ってことだろう。『わざと他人からの反発を招いてそれにびくともしない自分を誇示したい』ってのも結局は子供っぽい<強がり>や<ある種の中二病的な発想>のような印象がある。『自分こそが正しいと思っているからそれが他人の反発を招くのが理解できない』というのも視野が狭くて客観的に物事を見られない子供がしがちな失敗かもしれない。
要するにどれも『子供じみてる』ってことなんだろうがどうしてそれなりの年齢になったはずの大人でさえそんなことをするのがいるんだろうと思う。芸能人やインフルエンサーに特にそういう印象を受けるのが多いのはなぜなんだろう。
<受け止めてあげたいと思ってもらえる人間>であればごくごく身近な人間達に受け止めてもらえるからわざわざ会ったこともない名前も知らない見ず知らずの人間にまで自分の存在を知ってもらおうとしなくても済むのかもしれない。




