未来編 重視したいと思う
しかし<学校>や<企業>は、
<完全に自治権を獲得したコミュニティ>
じゃない。だからそれが属している国などの法律には従わなくちゃいけない。<法に反した組織>は基本的に存続できない。法に反したローカルルールはそれが表沙汰になればその時点でおしまいだ。組織の存続さえ脅かす。自分達で自分達の首を絞めることになる。
なのにそれが分からない地球人も少なくない。まあ昔に比べればそれもずっとマシになってるらしいが。<スポーツクラブにおけるシゴキ>なんかはそれこそ、
『シゴキを行わないスポーツクラブが実績を残す』
ことでその有用性は否定されてるし。
かつては<シゴキを行わないスポーツクラブ>の場合<シゴキを用いた練習>に比べて圧倒的にノウハウが不足していたのもあってどうしても実績の面で見劣りし、それが余計に<シゴキを用いた練習の有用性>を裏付ける結果になってしまった時期もあったとのこと。しかし<科学的に実効性の高いトレーニングとメンタルホスピタリティのノウハウ>が蓄積されると実績の面でも逆転、<シゴキを用いた練習の有用性>は明確に否定されるに至った。
なのにいまだに<似非科学>に騙される地球人が存在するのと同じく、
<シゴキを用いた練習の有用性を信じて疑わない者>
は完全にはいなくなっていない。なにしろ確かにそれによってそれなりの結果が出る場合もあるからなあ。選手の適正によってはシゴキのような手法の方が手っ取り早く才能を伸ばせる場合も実際にあるそうだ。で、その<成功体験>によって認知が歪んでしまい、
『やっぱりこのやり方が正しいんじゃないか!』
と増長してしまうと。その成功例の陰に存在する失敗例については『選手が悪い』ということにして。
『実際に望んだ結果を引き出せなかったのは誰なのか?』
という話なのに。この点からも、
『他人に厳しい人間は自分に甘いのがよく分かる』
というものなんじゃないか?
『スパルタを謳う指導者が大きな事故を起こして取り返しのつかない事態に至っても自分の責任と真摯に向き合おうとしない』
なんてこともあったり。
もちろん俺自身も自分に甘い部分はある。他人には厳しさを求めつつ自分を甘やかしてしまいそうになることはある。と言うか実際に甘やかしてる。だからこそ一方的に自分以外の存在に対しても無闇に厳しく接しようとは思わないんだ。あくまでお互いにただそこに存在してるという点のみを重視したいと思うんだ。




