未来編 人間として頭を使うなら
『自分が他人からどう見えているか?』
を気にするのは人間社会で生きる上で大切なことだと俺も思ってる。それを気にしなければどんな滅茶苦茶なことでもできてしまうだろうから。それじゃ駄目なんだと痛感する。
光莉の件でも彼女のことでとやかく言ってくる奴は自分が相手からどう見えてるか考えてもいなかったんだろうし、精神的に追い詰められていたとはいえ俺も自分が他人からどう見えているかなんてあの頃は考えてもいなかった。
それじゃ駄目なんだ。そんなことをしていてもただただ傷口を広げていくだけでしかないと思う。誰も救われない。ストレスすら解消されない。状況は悪化していくだけだ。
意見を述べるにしたって<言い方>は考えなきゃ駄目だろう。『人間として頭を使う』のなら。『人間として社会の中で生きていこうと望む』のなら。
<それを放棄した人間の末路>なんて、それこそ無数に実例があったはずだ。その実例から学ぶことができるのも<人間>ならではのはずなんだ。
それについても子供達には分かってほしいと思う。伝えていきたいと思う。それを自分の親から教わった覚えがないというのがいるのならなおさら俺達は自分の子供達に伝えていかなきゃいけないだろう。そう思っていてやらないのは<ただの怠慢>だと思う。
ああそうだ。人間社会で生きていく上において、
『他者との関係を極力穏やかなものにする』
のは、平穏に生きていくためには非常に重要かつ効果的なもののはずなんだ。なのにそのためには具体的にどうすればいいのかを自身の親から教わっていない者がいるというのが不思議で仕方ない。それを自分の子供に教えない親は何をしてるんだろうか。
そこは結局のところ、
『親自身も教わっていないから教えようがない』
ということなんだろうな。まさか『知っていてわざと教えない』わけでもないだろうし。もしそうなら本当にどうかと思う。
『そういうのは自分で気付いていくべきものだ!』
と言うかもしれないが、俺の両親はそういうことについても教えてくれたよ。もっともそれがしっかりと腑に落ちたのは確かに自ら人生経験を重ねたからだったのも事実ではある。
言葉で教わっただけでは十分じゃなかったものの<大きなヒント>になってくれたのも事実なんだ。そのヒントがあったからこそ納得が得られたのも間違いないんだよ。もしまったくのノーヒントだったら今の俺になれていなかった可能性が高いと感じる。
実際、ヒントすら貰えていないからこそ、
<人生経験を重ねたにも拘らず人間としてどうなのかという振る舞い>
をするのがいるんだろうし。




