未来編 社会も一個の生物
この世というのは本当に思い通りにならない。だが思い通りにならないこと自体がそもそも当然だから、だったらそれを前提に対処すればいいだろう。思い通りにならなくても苛々する必要はない。それをストレスに感じる必要もない。
俺が地球人社会で暮らしていた頃にも、周りには、
『他人が自分の思い通りに動いてくれるのが当たり前』
と考えている人間は珍しくもなかった。誰かが自分の思い通りにならないとすぐに機嫌を損ねて苛々した様子で振る舞いが雑になるんだ。それが他人からは不快に感じられることもあるのにな。
もちろん些細なことで苛々しない鷹揚な人間だからといって必ず他人から好かれるわけじゃない。むしろ同じ相手の悪口で盛り上がれる人間の方がきっと親しくなりやすいだろう。
だがそういう人間はえてして自分がいない時には自分の悪口を言っていたりするんだろうな。と言うか実際にそういう人間が多かった。職場でも普段親しげにしている同僚がいない時にはその同僚の悪口で他の同僚と盛り上がっていたりしたんだ。そしてそういうのに同調できた方が共感してもらえるのも分かってる。
だが自分のいないところで自分の悪口を言っているのを知ってしまった時に本当に親しくいられるのか? それは本当に『親しい』のか? 俺にはとてもそうは思えない。だからそういうタイプの人間と親しいふりをするよりは一人で淡々と仕事をしている方がずっと楽だった。ストレスを感じないで済んだ。
それに、生きるために仕事をする必要がなくなったのもあってか、ちょっと人間関係で嫌なことがあるとすぐ転職するのが当たり前になっていたのも事実だと思う。俺の同僚もそうやってどんどん入れ替わっていった。俺がそこに勤めている間ずっと一緒だった同僚は二〜三人だったと記憶してる。
中には<引き継ぎ>さえせずにある日突然来なくなる奴もいた。まあ普段からメイトギアがサポートについてくれていたから仕事の引き継ぎはそのメイトギアがいれば何も問題なかったんだよな。
昔の人間からすれば、
『そんなのでちゃんと仕事が成立するのか?』
と疑問に思うかもしれないが、これが不思議とそんなに問題ないんだ。もちろん大きな業績を上げることは難しいにせよ、従業員にそれなりの給料を払いつつ会社を維持していく程度ならなんとかなってしまうんだよ。<社会の仕組み>自体がそれで成立するようになっているからだろう。
生物の<代謝>に金銭は関わっていないがそれで機能しているだろう? 社会も一個の生物だと考えればいいのかもしれない。




