未来編 選択肢自体が存在しなかった
そうだ。<人間(地球人)という生き物>は、
<周囲の人間からの有形無形の助けを得ることで生きている生き物>
なんだ。人間(地球人)が築く<社会>はそのためのものなんだ。決して、
『自分一人の力で生きてこられた』
わけじゃない。そんな人間(地球人)はほぼ『存在しない』と言っていい。これも何度も触れてきたことだが、人間(地球人)は、
<自力では生きていけない期間>
が野生の生き物よりもずっと長い。野生の生き物でも生まれたばかりの頃は<親の庇護を必要とするもの>も少なからずいるが、巣立てば後はほぼ完全に自分の力で生きていくことになるものが多いのは分かると思う。
しかし人間(地球人)は成人してからでも、<食べる物の調達>も<休息の場>も<自分自身の身を守ること>すら<社会の仕組み>頼みだ。米粒一つ自力で作ることもままならない。
『米農家は自分で米を作るだろ!』
と言うかもしれないが、いや、その米農家でさえ<農機具>も<肥料>も、
『すべてを自力で用意する』
のがどれくらいいる?
『米一つ作るのにも他者の助けを必要としている』
のは米農家ですら変わらないはずなんだ。まだ機械化が進んでいなかった頃でさえ道具の調達は他人の力を当てにしていたりしただろう? 人間(地球人)というのは結局のところ、
<他者の助けなしでは生きていくことさえままならない生き物>
なんだよ。その事実とちゃんと向き合えば、
『他者の存在を疎かにする』
のがいかに傲慢かつ愚かな振る舞いなのかが分かるはずなんだ。直接は自身の助けになっていなくても『社会の中で生きている』以上は回り回って、
『その人がいなければ今の自分はない』
場合も数えきれないくらいあるのは事実なんだよ。なるほど現在の地球人社会はもちろん、ここ<朋群>でも、
『ロボットさえいれば生きていける』
のは事実かもしれない。しかし、
『そのロボットを用意してくれたのは誰なのか?』
を考えたらどう足掻いても『誰かのおかげ』なのは間違いないんだ。俺がここで生き延びられたのはエレクシアのおかげだが、そのエレクシアは、
<地球人社会のロボットメーカーの既製品を基にしたカスタム機>
でしかない。
『どこのメーカー品を選ぶか』
という点では<自分が決めたこと>ではあってもそもそもロボットが作られてなければ、
『その選択肢自体が存在しなかった』
わけで。
『米は知識さえあれば自力で作ることは不可能じゃない』
かもしれないが、
『ロボットを自分一人で一から作ることは不可能』
なんだ。




