未来編 分かりきっていること
で、さっき俺が語った部分だけを切り取れば俺の両親がさぞかし<聖人>のようにも思えるだろう。<完璧な親>にも思えるだろう。だが以前にも触れたとおり俺は両親に対して何一つ不満を抱いていなかったわけじゃないんだ。あの人達もあくまでも<ただの人間>であり、<不都合>も<不具合>も持った上で『人間としてどうあるべきか?』を考えている人達だったからこそ多くが学べたんだと思ってる。変に<完璧な人間>だったら逆に参考にできるところがないかもしれない。次元が違い過ぎて。
まあそもそも<完璧な人間>なんてのはいないが。そんな人間がいたという記録はない。どんな偉人でも聖人でもどこか歪な部分はあって決して<完璧>じゃなかった。でもだからこそ参考になる部分もあるんだろう。それが大事なんだと思う。
とはいえやっぱり偉人や聖人クラスになるとなかなか真似まではできないんだろうさ。対して<普通の親>なら子供の方も真似しようと思えばできるんじゃないか? もっとも<好ましくない部分>を真似されてしまうと困るのもまた事実。
俺にもやっぱりそういう部分はないわけじゃないだろうからそこを真似されないように、
『それは好ましくない部分なんだ』
とちゃんと伝えておく必要を感じてる。だからこそ、
『そういう好ましくない部分を正当化するような振る舞いは避けなきゃいけない』
とも思うんだよ。なのに地球人の親にはそういう好ましくない部分こそを何とか正当化しようとするのも少なくなかったように思う。ましてや親が、
『イジメはイジメられる側に問題がある』
『弱いからイジメられるんだ』
なんて、自分の子供がイジメ加害者になった時に、もしくは実際に自分の子供がイジメ加害者だったのが分かったからこそそれを正当化しようとして、
『イジメ被害者の所為』
つまり、
『他人の所為』
にするんだろうな。それでいて自分の子供が親に対して不満を抱けば、
『親の所為にするな』
と言う。しかも自動車の運転が自動化される以前にはスピード違反や駐車違反で取り締まられると、
『ルールを守らない自分が悪い』
じゃなく、
『自分の都合に合わせないルールの方が悪い』
だとか言い出す始末だったとも聞く。そんな親が<躾>を口にするんだからそりゃ上手くいかないだろうと。結局のところただただ自分の子供を自分に都合よく操りたいだけなのが透けて見えてしまう。
『自分じゃない人間を自分に都合よく操る』
なんてのが上手くいくはずないのは分かりきっていることなのにな。




