未来編 犯罪行為を肯定する
『強くなきゃ生きていけない。だから弱い個体はイジメられても仕方ない。野生の世界ではそうだ』
なんてことを口にする奴が地球人社会にはいたが、これまでにも何度も言ってきたように<野生>を捨てた地球人が<野生の在り方>を引き合いに出して、
『犯罪行為を肯定する』
だとか、本当に『甘ったれてる』以外の何ものでもないとつくづく思う。そもそもそんな考えは、
『野生というものを自身の愚かさを誤魔化すために都合よく捻じ曲げている』
だけのはずなんだ。野生の世界で生き延びるのは必ずしも<強い個体>じゃない。どんな形であれ生き延びた個体が<正解>なんだ。明らかに他の個体より力が劣る個体であってもたまたま生き延びることはある。そうじゃなきゃ、
『外敵に襲われたら為す術もなく死んでしまう』
とか、
『ちょっとしたストレスで死んでしまう』
とか、
『体が少し傷付いただけで死んでしまう』
なんて種が存在するはずもないからな。
地球人の場合は、
『社会を構成し多くの知恵を集めそれによって人間という種そのものを生き延びさせる』
という<生存戦略>を選択した種だ。個々の<生きる力>はそこまで重要じゃないんだよ。当人の生きる力は乏しくても<そこから得られる何か>があればこそ地球人は繁栄を続けられてきたんだ。
<特異な才能や資質>を持った人間の中には『周囲と上手く関係が築けない』者も少なくなかったはずだ。その才能や資質ゆえに<普通の人間>とは違う光景が見えてることで突飛な振る舞いに出てしまったりして。
もちろんすべての事例で<特異な才能や資質>を持っているとは限らないにせよ、しかし、
『周囲に馴染めないから』
という理由ですべてを排除してきたらその才能や資質は世に出ることもなく消えていたんじゃないのか? 自分が今生きている社会そのものがそういうものの上に成り立ってるというのに、
『周囲に馴染めない異質な奴が気に入らない』
とかいう理由でそれをイジメて排除することを肯定するとか、本当に<広い視野>をいうものを持ち合わせていないんだな。<多角的な視点>というものを持ち合わせていないんだな。<目先の自分の感情>だけでしか生きていないんだな。
俺は<子を持つ親>として自分の子供がそうやって自身の犯罪行為を肯定しようとかするなら本当に情けないよ。もし子供達がそうなってしまったのなら自分自身を許せなくなりそうだ。それはつまり俺自身がそういうのを肯定するような振る舞いをしていたということだろうから。




