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未来編 生身の人間が行う競技

今の地球人社会では選手自身に<犠牲>を強いて成長させるなんてことを基本的にはしない。それどころかそういうのは明確に禁じられている。まあさすがにそのその辺は『隙を突いてくる』人間もいるから完璧にとはいかないものの本質的にはそういうことなんだ。


『どれだけ多くの犠牲を払ったかで結果が大きく変わる』


と信じている人間も多いらしいが、確かにそれで変わることもないわけじゃないが、しかしそれすら<途方もない圧倒的な才能>の前には無力だったりすることもよく知られている。ただ、


『多くの犠牲を払った方がよりドラマチックに見える』


のも事実ではある。


『多くの犠牲を払った選手が圧倒的な才能を持った選手の前に敗れ去る』


という姿なんかも<ドラマ>としては確かに面白いんだろうな。賭けてきたものが大きいほど感情が大きく揺さぶられる。勝てば喜びを爆発させ、負ければ悔しさに慟哭する。それを安全で無関係な場所から眺めて楽しむんだ。


<観客>というのは本質的にそういうものだし、多くの観客を集めることで成り立つ<興行>の場合は<観客を楽しませること>こそが正義なのは事実だろう。


しかしロボットにはそもそも<感情>がない。<想い>というものがない。ゆえにそこには<ドラマ>もない。今のロボットを制御しているAIならその辺りのドラマも再現してくれるだろうが、だがそれは結局のところ<作り物>なんだよな。それこそ漫画やアニメや映画を見ているのと変わらない。


世の中にいるのは漫画やアニメや映画を見ているだけで満足できる人間ばかりじゃないんだ。たまに漫画やアニメや映画を楽しむことはできても、さすがにそれだけじゃな。


<作り物じゃないドラマ>


こそが楽しいっていう人間も多いんだよ。だからといって選手に犠牲を強いて『ドラマ性を高める』というのも、『ロボットが悲劇を演じる』みたいなもので、冷めた印象を感じてしまうそうだ。なんかわざとらしいんだよ。別にそんなことまでしなくても本気で競技に挑んでいる選手であればそこに<気持ち>も込められてるわけで、本気で喜んだり悲しんだり悔しがったりというのはあるはずなんだ。


<生身の人間が行う競技>


というのは、


『生身の人間が行う』


からこそ意味がある。<すごい技>も期待されるかもしれないが、それ自体があくまで、


『生身の人間が見せるからこそ価値がある』


ということだろうな。ゆえに廃れかけた諸々の競技も改めて人気を取り戻していったそうだ。

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