未来編 朋群に来たからこそ
『人間万事塞翁が馬』
という諺がある。
『その時は不幸に思えた出来事であっても後にそれがあればこそ掴めた幸せもある』
というニュアンスのそれだと俺は感じてる。俺のこの解釈を『違う』と感じる人間もいるかもしれないが、正確かどうかはどうでもいい。あくまで俺がそう解釈しているだけだ。正しいかどうかは重要じゃないし俺の解釈を他人に押し付けるつもりもない。ただただ俺自身の経験を端的に表現するならそういうことだろうなと自分が納得しているだけだ。この納得を他人と共有する必要は感じていない。あくまでも俺自身のためだけのものだしな。
地球人の中には<共感>というものをやたらと重視するのがいるが、俺に言わせれば見当違いも甚だしいと感じるよ。特にフィクションの登場人物について共感できるかどうかを価値基準にしているような奴には俺の家族や仲間達に関わってもらいたくないとさえ思う。
何しろイザベラなんかそれこそ地球人にとってはまったく理解できない存在だろう。奔放であけすけで好き勝手にしているようにしか見えないだろうから。
今も畑の手伝いをしていたはずが土竜を見付けた途端にそれを捕まえようとして苗を踏みつけてしまったりしたんだ。
彼女のそんな姿にキレる地球人も少なくないだろう。だが俺達は彼女の振る舞いにキレる必要を感じない。確かに苗を踏みつけてしまったりしたのは<損失>だが、彼女にとっては俺達のそういう感覚が理解できないという事実を知っているからこそそこでキレるのは筋違いだと思う。
何より彼女は<ビアンカが生んだ子>だ。そして俺達自身が受け入れた<命>なんだよ。その大切な命を『共感できないから』などという理由で批判しようなんて人間が<共感>を口にするとか本当に、
『どの口が言う?』
って話だよな。本当に共感ってものを大事にしてるならそもそも『共感できるできない』で他人の家族の価値を計るなんて真似ができるはずがないだろう。
改めて言うが、他人の<快・不快>について配慮することもできない人間が共感を語るだとか、冗談にしたって悪趣味すぎる。
そういうことについても俺はここに来てより実感することができたよ。ここに来てなけりゃきっとそこまで考えられなかった気がする。そうして知らず知らずのうちに自分以外の誰かを傷付けて、それについても考えることもなかったかもしれない。
妹の光莉をあんな病で亡くしたことも治療費のための借金で追い詰められたことも本当に苦しかったが、それがあったからこそ今があるんだよな。




