未来編 後悔してももう遅い
まあ俺自身、常に、
『俺の思うように振る舞ってくれない他人に対して憤ることがなかった』
わけじゃない。そうやって他人に対して腹を立てることは日常的にあった。特に妹の光莉の病気の件についてはヤバいくらいに感情が昂ってしまったことがあったのも事実だ。それを罵倒という形でネットに発信してしまったこともある。だがそれを俺は正当なものだとは思わない。憤らずにいられなかったのは事実でも正当化しようとも思わないんだ。それは結局『他人の所為』にしてるだけだしな。
もっとも俺が発信した罵倒は『好ましいものじゃなかった』のは事実でありつつ『直ちに法に触れる』ほどのものじゃなかったから、端末のAIの制止を振り切って発信できてしまったが。
でもまあ当然のこととしてそれに対する反発で袋叩き状態になってたり。で、俺もエスカレートして<レスバ>になって<アクセス禁止>を食らって強制終了と。しかも途中で何度も端末のAIに『法に触れる可能性が高いから』と弾かれてそれで文言を工夫して突破して。
今から思えば本当に愚かだったと思う。半日程度とはいえそんなことに時間と労力を費やしてたんだから。その時間と手間を光莉のために費やしていればと思う。だけど当時は心のどこかで、
『いつか治る。治ったらまた一緒に暮らせる』
と思っていたんだろう。
『どうせ治ったらいくらでも幸せな時間を過ごせる』
と。あの子を永遠に失うことになると考えたくなかったんだろうな。
これもまた<認知バイアス>ってものか……
だが現実は知っての通りだ。どんなに後悔しても無駄にした時間は戻らない。そしてそれは状況の真っ最中にいる者に伝えようとしても伝わらない。結果が出てからでしか大抵の人間はその時点での自身の行いの愚かさを自覚できない。
『後悔してももう遅い』
なんてのも<フィクションのジャンル>として存在するらしいが、まあ人間というものの厄介な部分として、
『基本的には主観でしか状況を認識できない。物事を俯瞰で見られない』
ってのがあるからこそそんなジャンルが成立するんだろうなあ。
『ちゃんと客観視できていれば俯瞰で見られていれば後悔するような状況には至らなかったのに』
というのが根本にあるわけで。だからこそ人間は他人を攻撃し傷付けることもするんだ。それが何を招くのか考えもせず。
ネットで誰かを死ぬまで追い詰めることも、実社会で直接手を下すのも、取り返しのつかない結果をもたらすのは結局のところ、
『目先の自分自身の感情しか見ていないから』
なわけで。




