未来編 子供からはそうとは限らない
フィクションなんかにおいては、光莉号やコーネリアス号に保存されていたコンテンツの中にもあった話だが、
『親や環境や境遇にも恵まれて何不自由なく暮らしていたはずの主人公がどうしようもない閉塞感に囚われていて何かのきっかけでそれが表面化し暴発しとんでもない行動に出てなにもかもを失っていく』
というのがいくつもあったな。俺が地球人社会で暮らしていた頃にもその手の物語があって主人公に対して批判的な反応が集中していたりしたなんてのがあった。だが俺自身はむしろその批判に対して違和感を覚えていたんだよな。
当時はただなんとなくって感じだったが今はその理由が分かる。その主人公の親と俺の両親とを比べていたからだと。
なにしろその手の物語の<親>は、
<それこそ判で押したように善良で真っ当で非の打ち所のない良い親>
だったからな。物語で描写する以上はある程度簡潔にまとめる必要があるんだろうが、物語で描かれているような<良い親>なんて現実にはそうそういないんだよ。生身の人間がやってる親はだいたいどこかしら<欠点>があって<褒められない部分>があって、それをなるべく他人には見せないようにしてるだけだしな。俺の両親にだってそういう部分は確かにあった。だが同時に子供として自分の両親に対して抱いていた印象は、
『この人達は俺のことをちゃんと一人の人間として認めてくれている』
というものだった。対して物語の中で描かれる<良い親>のほとんどは、
『他人の目から見れば良い親にも見える』
というだけで、
『自分の子供を一人の人間として見ていない』
ってのが偽らざる俺の印象だった。俺も多少は自分の両親に対して反発するところがなかったわけじゃないんだがそれがどうしてなのか今から思えば、
『基本的には俺を一人の人間として認めようとはしてくれてるんだが、ついついそれを失念して一方的に押し付けようとしてくる時もないわけじゃなかった』
からなんだってのが分かる。俺自身が子供に来てもらって親として振る舞おうとするからこそ『完璧ではいられない』のが分かってしまってあの頃の俺の両親もそうだったんだなと理解はできるんだ。
でもだからこそ、
『どれほど他人の目からは良い親に見えたとしても子供からはそうとは限らない』
のも分かってしまうんだよ。まあその辺についても割と描写されていることはあったけどな。
『子供の話に耳を傾けず親が思う正しさを一方的に押し付けようとする』
みたいな形で。




