未来編 社会を作り上げていくというのは
『社会を作り上げていく』
というのは、
『インフラを整備し仕組みを作ればそれで終わり』
じゃないとつくづく思う。人間というのはどうしても、
<自分なりの解釈で物事を捉える癖>
がある。だから<社会の仕組み>についても自分なりの解釈によって都合よく捻じ曲げようとする傾向があると思うんだ。それこそ<身勝手な人間>ならなおさら自分に都合よく解釈してそれに基づいた振る舞いをする。そうなるともう、
『なんであいつだけ!』
となってどんどん<本来目指していたはずの在り方>とはかけ離れていってしまう。そうならないためには、
『微に入り細に入り法律で縛る』
よりも結局は<個人個人の在り様>が大事になってくるんじゃないのか? 実際の人間社会を見れば見るほどその思いは強くなっていく。俺自身の両親が俺に示してくれた<手本>があるからこそ実感するんだ。
だがそれには、
<心掛け十箇条>
みたいなものを作って唱和するだけじゃだめなんだろうな。何しろ人間ってのはその<十箇条>自体を自分なりに解釈して捻じ曲げてしまったりするわけで。そして、
『自分にとって都合の悪いものは守らなくていい』
と考える生き物でもある。ゆえに自動車の運転なんかについてはAIとロボットに任せることになってしまった。『自分にとって都合の悪いものは守らなくていい』なんてのがなければそうはならなかったかもしれないのにな。まあ身勝手なことをしなくても人間はミスをするからそこを補うためにAIやロボットは利用されたかもしれないが、その場合はあくまで『ミスを補う』だけにとどまって運転そのものについては人間が主導的に行えていたかもしれないなあ。
要するに、
『人間には任せておけない』
ってことだな。特に直接的に他者に大きな被害が及ぶようなものについては。<自動車の運転>なんてのはまさしくその典型か。重量二トンもあるような金属の塊を時速何十キロもの速度で走らせるんだから、ひとたび事故に至ればその被害は取り返しのつかないものになる危険性が高い。にも拘らず人間は自分勝手な理屈を振りかざして自動車を運転しリスクを高めてしまう。
うん、自動運転が採用されるのは当然の流れだな。<自動運転の精度>はもちろん重要だがその辺はあくまで<技術的な問題>であって『人間の心掛けに頼る』なんて曖昧な話じゃないし、『人間の心掛けに頼る』がいつまで経っても成果を見せないからこそ技術の方が追い付いてしまったんだよなあ。




