未来編 ただのじゃれ合い
『人間として他者とどう関わっていくかが大事』
俺がこんなことを言っていても、
『そんな綺麗事で世の中が変わるわけないだろw』
と嗤う奴はたくさんいるだろうさ。そんなことは百も承知している。だが俺がそれを承知して折り合いをつけられているのは事実なんだよ。そこで、
『自分の思い通りにならない奴はクソだ!』
とキレていないのも結局はそれなんだ。そんなことでいちいちキレていたら本当に精神衛生上よろしくない。俺の感覚だと、
『キレることで発散できるストレスよりもむしろ大きい』
としか感じないんだよ。そもそも他人が自分の思い通りにならないことについてそこまでストレスを受けてるわけじゃないからな。
『他人が自分の思い通りにならない』のは当たり前のことだろう? その当たり前のことについて苛立ってて生き易さを感じることができると思うか? 俺は思わない。求愛を受け入れてもらえてない未来も、未来をライバル視してる黎明も、口ではあれこれ言ったりしてるが本気で苛々してるわけじゃない。怒ってるわけじゃない。いわばただの<レクリエーション>だ。<じゃれ合い>なんだよ。もちろん<イジメ>を誤魔化すために言ってるそれでもない。本気でただのじゃれ合いなんだ。
しかしそれで済んでるのは二人ともちゃんと自分の存在が受け入れられているという実感があるからだろう。それがなかったらおそらく不安が先に立ってしまって<執着>を見せてしまうこともあるに違いない。だが<執着>はえてして他人の目からはあまりいい印象で見られないよな。<ストーカー>が周りからどう見られるかを考えれば分かりやすいかもしれない。あれはまさしく<執着そのもの>なわけで。
未来も黎明もルコアに対して熱烈なラブコールを送りアタックを繰り返してるが、それをルコアが嫌悪しないのは二人が執着してるわけじゃないからだろうさ。二人に対して嫌悪感を覚えるような陰湿な部分がないんだ。
これも結局は俺達大人が<過度な執着>を見せないようにしてるからだろうな。もちろんルコアもだ。場合によっては<地球人としての姿>に執着し<サーペンティアンとしての自分>を受け入れられないどころか嫌悪していたかもしれないような境遇だったにも拘わらずそうはなってないわけで。
対して大人が何かに執着しているような<見本>があると子供も倣ってしまうんだろうなあ。だからこそちゃんと<手本>を示し続けるんだ。<人間の大人>として。
それを面倒がって手を抜きたがる大人が<悪い見本>を示すんだよ。




