未来編 他者とどう関わっていくか
<フィクション作品が自分の思ってる通りの出来じゃないからとキレる人間>
であっても、なるほど、
<同じ作品に対して同じように感じてる人間>
なら共感もしてくれるだろうし意気投合できるかもしれない。『その瞬間は』な。
だが、
『それ以外の作品に対しても常に同じように感じてくれる』
か? ある作品については意気投合できてもまた別の作品については見解が分かれたりすることはないか? じゃあそこで見解が分かれた時はどうする? 相手が自分に迎合してくれることを期待するのか? それとも自分が相手に迎合するのか? どちらにしても結局は、
『すべてが自分の思ってる通りにはならない』
という話だよな。そこで『自分の思い通りにならないから』とキレて何が得られる? 『うわこいつメンドくさ!』と思われて離れて行かれるかもしくは自分の方から見限るか。
すべての人間と上手く関係を築けるはずがないのは俺もよく承知している。そんなことが実現できるなんてお花畑なことは考えてはいない。だが本当に自分の身近にいる人間とは なるべく良好な関係を築いていた方が生き易いとは思わないか? そのためにはどうすればいいかを学べていたら良かったのにとは思わないか?
俺は自分の両親から大まかとはいえそれを教わることができていたから今があるんだと思ってるよ。だからこそ自分の両親には感謝もできる。そうじゃなかったら体裁を繕うために綺麗事を口にしたりはしてたかもしれないが本気でそんなことを思える気がしない。
実際、地球人社会においても公に向けて綺麗事を口にする者はもちろんいたが本心からそう思っていたかどうかは別の話だよな。
<親に関する話題>なんてそれこそ体裁を取り繕うためにするものの定番のような気がするんだよ。
俺だって両親に対して感謝はしていてもあの人達のことを必ずしも全肯定しているわけじゃない。納得のいかない部分は今でもある。
『あの時こうしてほしかったな』
『こう声を掛けて欲しかったな』
そんな風に思うところは確かにあるんだ。しかしそれは当然のはずなんだ。何しろ血の繋がった実の親であっても<自分とは違う人間>なんだから。その事実とどう折り合っていくかを学ぶかが人間という生き物にとっては大事だと痛感する。
<座学で得られる知識>ももちろん重要ではあるもののそれを十全に活かせる生き方が誰でもできるわけじゃないのは事実なんだから、なんだかんだ言って、
『人間として他者とどう関わっていくか』
がとても大きいんだろうさ。




