未来編 ただの照れ隠し
ルコアに穏やかな笑顔を向けられて顔を真っ赤にした黎明を、未来もイザベラも蒼穹もからかったりしない。
「お前ホントにルコアのことが好きなんだな」
未来が少し呆れたように口にするだけだ。
「うっさい! バカ!」
黎明が声を荒げるがこれもただの照れ隠しなのは誰の目にも明らかだろう。それに未来も同じ<ルコアのパートナー>になることを目論んでる者でありながら、罵倒されながら、しかしキレるでもなく鷹揚な態度を示してみせた。
キレる必要がないからだ。精神的な余裕がある上に黎明の態度も<自分に対する攻撃>でないことを知っているがゆえに。
本当になんてことない些細なことでキレる者も少なくないが、別に自分が攻撃されたわけでもないのに過剰な反応を見せる者も少なくないが、それはなぜなんだろうな。
まあ何をもって『攻撃された』と感じるかは人それぞれという面もあるにせよ、赤ん坊が自分の思い通りにならないというだけで親がキレるというのは本当に情けないと思う。そもそも赤ん坊が自分の思い通りになるとなぜ思えるのか。
ましてやロクに自らの力で自身を守ることさえできない赤ん坊相手に攻撃的になるなんてのは、野生の生き物であればまだしも仮にも理性を備えているはずの<人間>の場合は理不尽極まりない行状だと分かるはずなのにな。
しかも自身のそういう理不尽な振る舞いを野生の生き物を引き合いに出して正当化しようとする大人もいる。それが本当に情けない。情けないがそんな大人になってしまったこと自体に原因がある以上はただ批判するだけじゃ駄目なのも分かるというものだ。
『そんな大人になってしまう原因を作らない。理由を与えない』
そのためにもこの<授業>は必要だった。子供達に対して、
<自分の存在が無条件に受け入れられている実感>
を与えることによって精神的な余裕をもたらしつつ<キレる必要>をなくし、さらに、
『どう対処するのが適切なのか?』
を具体的に提示するんだ。言葉で説明するだけじゃ十分じゃない。言葉で説明しただけで事足りるわけじゃない。
『子供は口で言っても分からない』
と言うのならなおさら具体的な<手本>を示さなきゃ駄目だろうに口先で簡単に言葉を並べただけで『ちゃんとやった』気になってそれで子供に伝わってないとなったら、
『理解しないお前が悪い!』
とキレるんだから本当に始末に負えない。そんな形で<キレる大人の姿>を見せていてそれが好ましい結果をもたらすと考えられるのが俺には理解できない。




