未来編 自分以外の存在がすぐ傍にいる
『自分以外の存在がすぐ傍にいる』
群れをつくる生き物にとってそれは重要な事実だ。特に<強く明確な自我>を持つ<人間という生き物>にとってはな。その事実といかに向き合い折り合いをつけられるかが結局は自分自身の精神の安定には必須なんだよ。
<自分以外の存在>を疎み敵視し感情を先鋭化させていたら<安穏>なんか得られるはずもないだろう? もちろん『誰とでも仲良くなる』『誰とでもいい関係を築く』なんてのは無理だし俺にだってできない。地球人社会にいた頃はそれこそ、
『こいつ死んでくれないかな』
と心のどこかで思ってしまっていた相手なんて十や二十じゃきかなかった覚えがあるし。あくまでそんな感情に強く囚われてしまわなかっただけだ。ネットなどで発信しなかっただけだ。そこまでする必要がなかっただけだ。まあそれすら、妹の光莉の病状が悪化するにつれて制御が効かなくなってそういうコメントを残してしまったりもしたけどな。幸い、俺が使ってた端末のAIが自動でミュートしてくれてたから<ライン越えのコメント>については実際に発信されてなかったが。
それについても、
『AIごときが余計なことをするな!』
と憤る人間も少なからずいるものの、実際にそのおかげで罪を問われずに済んでる事例は数多いそうだ。それに、
<どうしても残す必要があるコメント>
であればそれがなぜ必要なのかをAIに対してプレゼンして認めてもらえれば残すこともできるし。で、それが問題になったとしても『なぜ必要だと判断したか?』の根拠を客観的に情報として残しておいてくれるんだよな。そしてそれは裁判になった時にも証拠として利用もされる。しかもAIが『必要と判断』してくれたような場合だと大抵は認められるそうだ。が、『殺す』などの直接的な表現はさすがに認めてもらえないけどな。そういうのはあくまで創作の中だけでのみ許される表現だから。
ただし、<創作のふりをした犯罪予告>的なものについても規制の対象にはなる。<表現の自由>は、
<加害行為を正当化するための根拠>
じゃないわけで。
<実在の人物に不利益をもたらすのを目的とした創作>
は<創作>じゃないということだな。<創作のふりをした加害行為>でしかない。AIによってその辺の判断をするようになった頃はまだ精度が低かったから判定を緩めに設定していたらしいが、それによって<ライン越え>として訴えられて裁判になった事例もあったとか。
そういう点でも人間ってのは困った生き物だと思う。




