未来編 世捨て人
そもそも俺達は人間を価値で考えないしな。ビアンカも久利生も『人間を価値で測る』という在り方にはとことん辛酸を舐めさせられてきたんだ。なのにここではそういう一切合切が関係なくなってしまった。<自身の価値>も<他者の価値>も考えたところで意味がないのが分かってしまうんだ。
人間以外の生き物達は<価値>なんて考えていないからな。キャサリンを見ていても分かる。彼女はいちいち頭で『価値のあるなし』を考えてはいない。あくまで感覚的に自分にとって好ましいか否かで判断しているだけなんだよ。地球人はそれこそを<価値>だと言うかもしれないが、他人が好ましいと思うものでも自分の好みに合わなければ『価値がない』と考えたりするだろう? つまり<価値という概念>そのものが曖昧で実体がなくていい加減なものなんだ。
凱の人生だってどうでもいいと感じる者からすればそれこそ無価値なものなんだろうし。だが彼の実の父親である俺にとっては彼の人生を無価値だと考える人間の存在にこそ価値を見出せない。で、こんな風に言われるとキレるんだよな。自分は他人の子供の命も存在そのものも軽んじるクセに。
『価値でものを考える』というのがいかに命の現実とそぐわないか、俺も何度も思い知らされるよ。まあシオやレックスは生き物についての専門家だから最初から知ってたみたいだけどな。当然、シモーヌも。
地球人社会においては<価値>というものから逃れることは容易じゃない。それは事実上、
『地球人社会を捨てる』
に等しい、<世捨て人>みたいな生き方をすることになるだろうな。だから地球人社会で、
『価値なんて考え方は要らない。誰も幸せになれない』
とまで言わないさ。言ったところで、
『頭のおかしい夢想家』
とか言われるのがオチだしな。しかしここは違う。価値という考え方そのものが成立しないんだ。価値なんてものを考えてちゃ一瞬の判断に遅れが出る。生きるためにはその時やれることをやるだけだ。
だから誰も価値で判断しない。イザベラのこともあるがままに受け止める。
地球人は『そういう風に接すると当人が思い上がって増長する』みたいなことを考えがちだが、それは前提が違ってると俺は思う。普段はあるがままを受け止めてもらえてない者がいきなりそんな風にされるとそれまでの反動で調子に乗ってしまうだけだろう。元からそうしてもらえていればそれが当たり前だから調子に乗るも何もない。
実際、イザベラはガサツで乱暴なところはあるものの家族に対して暴力を振るうわけでもないしな。




