陽編 人間として生きること自体が
そうだ俺は自分の親を尊敬しているからこそ親に対して厳しい見方をすることがあるんだ。そもそもの基準が俺の両親だからなあ。その上であくまで『誰もが同じようにできるわけじゃないのもまた事実だとわきまえている』だけでしかない。
俺だってあの人達とまったく同じようにできてるかと言われればたぶんそうじゃないし。
このことも、
『自分と自分以外の人間は違う』
という事実を認めるのに役立ってるな。そしてそれは陽や和にもしっかりと受け継がれてる。受け継がれてることを確認してる。
二人は『自分の思い通りにならない』からといってキレるようなことが基本的にないし。
そんな二人の仕事は、『飛び抜けて早い』みたいなわけじゃないが、とにかくスムーズだった。お互いにつまらないことでいちいち衝突しないから結果としてスムーズに進むんだ。
そうして陽と和が出してくれた物資をセシリアとイレーネが検品して仕分け、ドーベルマンDK-aらがそれぞれ所定の場所へと運んでくれる。各々の家の前だ。
そこから先はもちろん家人が行う。地球人社会ではそれこそ各家庭に一体はメイトギアがいるほどの普及率だったからその辺も任せきりだったところも多いらしいが、身の回りのことは敢えて自分でするという者も実は少なくなかった。自分にとって面倒だと感じることはロボットに任せ、好んで手間を掛けたい部分については自らやるんだよ。これも今の地球人社会では当たり前のことだ。
ここまでロボットが普及すると本当に人間は自分では何もせずそれこそ家畜のように『ロボットに飼われている』状態になると危惧されていたりもしたそうだが、それも実際には杞憂だった。人間ってのは意外と自分で何かしてないと落ち着かない生き物らしい。
だからここでは基本的にできることは自分でやってもらおうと思ってる。陽と和の<仕事>もそういうことの一環だな。
『仕事がストレス』だったのは、仕事そのものじゃなくて実際には<職場の人間関係のストレス>が一番だったらしいから、そもそも概ね良好な人間関係が保たれていればそこまでストレスでもないんじゃないか? <客商売>の場合も客そのものがストレス源だったりしたんだろうが、客の方も相手を人間と理解してちゃんとわきまえてくれてればそこまでストレスにはならないだろうし。
そういう社会ならそこまで『生き難いと感じる』ことも少ないんじゃないか? もちろん中には、
『人間として生きること自体がストレス』
というのもいるかもしれないが。




