陽編 大切なことを教えてくれた
自動運転が当たり前になって自動車の運転マナーについてとやかく言われることはなくなっても、<日常の振る舞い>で、
『親の顔を見てみたいもんだ』
的に揶揄されるようなのはいた。『トイレを綺麗に使えない』奴もそれなりにいたのを覚えてる。出掛けた先の公衆トイレが汚れてて嫌な思いをしたことも何度もあったな。まあ、そういうところはたいていメンテナンス用のロボットを備えているから申告すればすぐさまロボットがやってきて徹底的に綺麗にしてくれるもののそういうことじゃなくて『トイレを綺麗に使うこともできないのがいる』というのが人として情けないんだ。自分の後に使う人間がどう感じるかなんて考えることすらできないんだろうな。
もちろんそれぞれ事情はあるだろうから『綺麗に使えない』ことがあるのは仕方ないさ。だがそれを『放置する』のはなんなんだ? トイレが汚れたことを申告すればロボットがすぐさま綺麗にしてくれるというのにその程度の手間を掛けることすらしないのはなんなんだろう。自分がそうやって手間を掛けたら『負け』だとでも思ってるんだろうか?
俺は基本的に自分が汚したら取り敢えず後始末するようには心掛けてたんだがなあ。これもたぶん、両親の影響だと思う。幼かった頃に俺がトイレで失敗したらキレたりもせずにちゃんとその場で綺麗にしてくれたよ。母だけじゃなくて父もだ。俺は男の子だったから母が男子トイレに入ってくるのは憚られたし、そうなると当然、父が対処してくれた。逆に妹が失敗した時には母が対処してたようだ。
子供が失敗することがあるのは分かる。だがそれを放置していく親がいるというのが本当に情けない。そして親がそんなことをしていれば子供だって自分のしたことの始末もできないのになるんじゃないのか? そういうのは<悪い見本>になるんじゃないのか? 俺が見せてもらってたのは<手本>だったよな。
<こういう時にはこうするんだという手本>
だ。それは百の言葉よりも十の罵倒よりも一つの拳骨よりも俺に大切なことを教えてくれたよ。と同時に、
<自分の思い通りにならない他者との接し方>
も教えてくれたと思う。
<罵倒するんじゃなくて暴力を振るうんじゃなくて極力鷹揚に接する在り方>
を。そしてそんな両親の評価を下げるようなことをしたくないから俺は普段の振る舞いにも気を付けるように心掛けることができてたと思う。
光莉の病気のことで精神的に追い詰められていた時でさえそれを理由に好き勝手していいとは思わないくらいには。




