陽編 自分の親の評価を下げる振る舞い
『自分の親の評価を下げるような振る舞いをする人間はきっと自分の親が嫌いなんだろうな』
結局、そういうことなんだろうと思うよ。俺は人間を<価値>や<評価>で語ることはしたくないが、地球人社会では価値や評価に強く拘る人間は多かっただろう? 命さえ価値のあるなしで語るのもいた。そこまで価値や評価を重視してるのなら自分の親の評価を下げるような真似はしないと思うんだが、実際にはよくない意味で『親の顔が見てみたい』と言われるような振る舞いをするのも多かったよな。
<自動車の運転>なんかでもそれこそ傍若無人なのも多かったと聞く。だからこそ自動運転が進歩し、結果として人間は運転をしなくなった。もちろんしようと思えばできるんだが、ちゃんと運転免許を持ってないと管理責任者として認められないんだが、あまりにも交通法規に抵触する運転をするものだから自動車を制御するAIからの警告が止まず嫌になってしまうらしい。
それに、AIは他のAIと連携してまさしく生体組織のように有機的に道路状況を最適化して最も効率のいい移動を実現してくれる。個々人が好き勝手に自分のペースで走ろうとすることで結果的に流れが滞ってしまうのとは実に対照的だそうだ。俺自身も地球人社会において自分で自動車を運転するのなんて、それこそ郊外の交通量が非常に少ないところでドライブする時くらいだったよ。まだ普通の生活ができてた頃の光莉を乗せて。
ただ、光莉には、
「お兄ちゃんが運転するの、ちょっと怖い」
と言われてしまったりしたけどな。AIに制御された極めてスムーズなそれに慣れてしまっていた光莉にとって<生身の人間の運転>は不安にさせられるものだったんだろう。
別に無闇にスピードを出したり乱暴な運転をしてたわけじゃないはずなんだが。<AIからの警告>もほとんどなかったし。ちょっと制限速度をオーバーしてしまって自動でアクセルを緩められてしまったくらいで。
でも、俺みたいにあくまでスムーズな運転を心掛けていても同乗者を不安にさせてしまったりするんだから、それを心掛けてもいなければなるほど身勝手な運転にもなるってものか。
だがそうやって身勝手な運転をして他人を不安にしたり危険に曝したりなんて運転の仕方を親から教わったのか? 実際、子供を乗せた自動車がルールを蔑ろにしていたりというのも珍しくなかったと聞いたな。
親がそんな運転をしていれば子供も当然真似をすると考える方がむしろ自然だろう。




