陽編 何より大きかったはず
密林の中をゆっくりと進むローバーの車内で、麗は助手席に座った和に尻を撫でてもらっていた。
<ウサギのコスプレをした女性>のようにも見える麗の尻を撫でている光景はなかなかにシュールなものだっただろうな。と言っても実は俺はそこまで見てたわけじゃない。帰ってきた陽と和が夕食の時にそう話してくれたんだ。
そうやってその日の出来事を気軽に話してくれる。そういう話ができる関係を築けている何よりの証拠だと思う。俺もシモーヌも光も二人のことを馬鹿にしたり見下したり嘲ったりしないからな。
地球人社会では自分の家族すら馬鹿にしたり見下したり嘲ったりするのがいるらしい。どうしてそんなことをするのかできるのか、俺にはまったく理解できない。したくもない。そりゃそんなことをしてくるような人間と家族を演じないといけないとなれば『生き難い』とも感じるんじゃないか?
俺としてはそう思うから家族だけじゃなく他人についても馬鹿にしたり見下したりしないでおこうと今では思ってる。地球人社会にいた頃はいろいろ精神的に追い詰められてた時期もあって爆発しないように抑えるだけで精一杯だったりしたしな。だから露骨に口には出さないようにしてたものの内心ではボロクソに罵ってたりしたこともあったよ。
だがそういうのは結局、普段の何気ない振る舞いや表情に出てしまっているんだと思う。<険のある言葉遣い>であったり<素っ気ない態度>であったりという形で。虫の居所が悪い時なんかはなおさら。相手のその手の振る舞いに敏感な人間だったらそれこそ不快に感じてしまっていい気がしなかったりするだろうな。で、相手からも毛嫌いされたりもすると。
実際、そういう感じであまり関係が芳しくない相手は何人もいたよ。それは相手だけに原因があるんじゃない。俺の方にも原因はあったはずなんだ。だが、<好きになれない相手><ウマが合わない相手>であっても理不尽なことをしていいとは思ってなかったが。
精神的に追い詰められた状態であってもその辺の一線だけは越えないようにしなきゃという意識はあったな。これもたぶん、両親のおかげだと思う。
『理由さえあれば何をしてもいい』
という考え方を是としない人達だったわけで。その二人の普段の在り方そのものを<手本>として学べたからだと思う。それが何より大きかったはずなんだ。そういう実感があればこそ、俺も子供達に対して手本を示さなきゃと思える。
はっきりと自覚できるんだ。




