陽編 湿っぽい感じじゃない
世界そのものを丸ごと変えてしまおうとするから、
『そんなことは不可能だ!』
って話になるんだろう? ましてや自分の身内との関係すらまともに築けない者に『世界を良くする』なんてことができるわけがないとしか思わないな。
まあ、『ある程度自分に都合よく変える』という意味なら歴史を見てもあったことかもしれないが。『奴隷制度をなくした』とか『封建制度から民主制度に変えた』とかはまあ『世界を変えた』と言ってもいいかもしれない。
だが、そうやって変わった後も『生き難い』『生きづらい』と嘆く人間はいなくなっていないよな。追い詰められて命を落とす人間もいる。確実に数は減っていてもゼロにはなっていない。
だが、自分の身内だけに絞れば難易度は比べるべくもなく下がるはずだよな。俺でさえこうやって家族や仲間と良好な関係を築けてるんだから。自分だけが努力してても駄目だし、他人が努力してくれることを期待してるだけでも駄目だ。お互いに相手が<自分とは別の人間>であることを認めて受け入れて理解することが大事なんだと俺は思ってる。それを心掛けてきた。
そんな俺がなんとなく視線を向けているタブレットの画面の中で、陽と和と麗は楽し気に食事を終えて、再びローバーに乗り込む。一般的なフィクションならここで何か<事件>が起こったりするんだろうが、現実ってのはそんな風に都合よく話を盛り上げるアクシデントが起こったりはしない。
果実を一つ持ったままローバーに飛び乗ろうとした麗が果実を落としてしまってそれに気を取られたのか着地に失敗、尻もちをついてしまっただけだ。
「ぎゃひっ!」
なんとも可愛げのない悲鳴を上げて。だが、陽も和も、
「大丈夫か、麗」
「怪我はない?」
素直にただ心配してくれる。彼女の失敗を嘲笑ったりもしない。パパニアンも『相手を馬鹿にする』という振る舞いを見せることがあり、馬鹿にされた方もそれと理解して憤慨する様子が日常的に確認されている。まあ地球に生息している<サル>でも同様の振る舞いが見られるからパパニアンにそれがあってもおかしくはないか。
しかし地球人社会のように複雑かつストレスフルな環境じゃないからか、割とあっさりした印象もあったりする。何というかこう、湿っぽい感じじゃないんだ。喧嘩にはなるもののいつまでも引きずらないというか。
でも、<好き嫌い>もちゃんとあるんだよな。自分を馬鹿にしてくる相手のことははっきりと嫌ってたりもする。




