陽編 永遠の愛じゃなく
今の地球人社会においては離婚と再婚はほとんどの既婚者が経験する<ごく普通のこと>なんだ。なにしろ老化抑制処置のおかげで何度でもやり直すことができるし、仕事をするのも『生きるため』という以上に『生き甲斐のため』になったから離婚後の生活の心配をする必要も小さくなった。
そうなると『もう一緒にいられない』と感じれば躊躇う理由がほとんどなくなるわけで。
比較的に関係が良好とされている夫婦でも、『一生添い遂げる』例は少ないそうだ。親子でも『自立して家から出ていく』のも多いから、それまでの間だけだろう? 一緒に暮らしているのは。ましてや元々は赤の他人同士だった夫婦が『一緒にいることに耐えられなくなる』のも無理からぬことなんだろうな。
そういう意味では俺とシモーヌもずっと一緒とは限らない。もしかしたらということは有り得る。まああくまでも数十年の話であってさすがに『百年以上』ってわけでもないからそれくらいならいなくもないか。
だが、人間の気持ちってのは時間と共に変化していくものだからな。加えてシモーヌは今でもレックスを愛してるわけで、もしまた<十牧アレクセイのコピー>が顕現したらどうなるか分からない。そちらに心が傾いてしまうことは十分に有り得るだろうな。
だが俺はそれも覚悟の上でパートナーになったんだ。
恋愛もののフィクションなんかだと<永遠の愛>なんてのが当たり前のように出てくるが、そんなものは作り話の中にしか存在しないというのを地球人の科学技術はこれ以上ない形で証明してしまったしな。
だから陽と和も『一生添い遂げる』とは限らないだろう。個人的な理想としては添い遂げてほしいと願いつつ、俺の理想を押し付けることはしたくない。そうなった時はそうなった時だ。二人が納得の上で出した結論なら受け入れるだけだな。
新と凛の時もそうだった。最初は戸惑いもしたが二人の気持ちがお互いを求め合っているのなら見守る決心をした。しかし結果として二人の気持ちは最終的にすれ違ってしまった。でもなあ、そういうのも含めて<心>ってもんだろう? 改めてそのことを学ばせてもらったよ。成長させてもらったよ。
ただ、お互いに一人の人間として適切な距離を保つ努力をするなら、生涯に亘って良好な関係を保つこと自体は不可能じゃないと俺も思ってる。フィクションで描かれる<永遠の愛>じゃなく、<相手を自分とは別の人間であることを認めて受け入れるという意味の愛>であれば。




