陽編 目指せば目指すほど実は
とにかく、陽や和が気負わずに生きていられるのは、本人の資質だけじゃなく、
<それができる環境>
であることが大きいと思う。地球人社会はそういう意味では難しい社会と言えるだろうな。それでも昔に比べれば随分とマシになってるはずなんだがなあ。
『生きるために働く』から『生き甲斐のために働く』に変わり、学校や職場での<ハラスメント>は抑制され、確かに環境は改善されていると聞く。なのにまだ『生き難い』と嘆く者はいなくならない。
<すべてにおいて満足できる社会>
なんてものはそうそう実現できるものじゃないということか。それこそ<戦乱の世>や<乱世>と称されるような時代でも人間は生きていたんだ。嘆き苦しむだけじゃなくてきっと喜びや楽しみもあったんだろう。やがて戦乱は収まり<太平の世>になってもやっぱり<一揆>なんて形で不満が爆発したりもした。戦乱の世や乱世に比べればマシになったはずにも拘わらず。
さらに<自由と平等>が標榜され自身の生き方を自分で決められるようになってもなお『生き難い』と嘆く者はいなくならない。
結局、人間そのものが変わらない限りはどんなに社会システムをいじったところでどこかにしわ寄せは行くんだろうな。そしてそのしわ寄せによって割を食うことになった人間が鬱憤を溜め込んでいって時に爆発したりもする。
犯罪件数は確かに減ってるからマシにはなってきてるはずなんだよなあ。メイトギアをはじめとしたロボット達は本当に人間のために尽くしてくれてるし。
対してここじゃ、『生き難い』と嘆く者は基本的にいない。<大切な誰かとの別れ>はあるものの、考えてみれば地球人社会でも、
<命の終わりがあることを理由に生き難いと嘆く者>
というのは聞いた覚えがないな。そもそも<命には限りがある事実>と<生き難さ>はむしろ相関性がないに等しいのか。それどころか生き難いと嘆く者は自ら命を絶とうとすることさえあるくらいだし。
だから『生と死が隣り合わせである』ことと『生き難いか否か』は特に関係ない気がしてきたよ。いや、実際関係ないのか。
もしかすると、社会が複雑になればなるほどそれに適応するために人間の脳のキャパシティが厳しくなって<正体不明の圧迫感焦燥感>が生じるのを『生き難い』と表現してるだけかもしれない。
だから<死の恐怖を遠ざけるための社会>を目指せば目指すほど実は<生き難さ>もついて回るのかもなあ。
だが、もうそういう方向を選んでしまった以上は今さらか。




