陽編 自分で自分を認めることが
結局のところ俺が言いたいのは、
『ルールは絶対に守れ!』
ってことじゃなく、
『自分がルールを守れないことを詭弁を弄して正当化するのは大人として好ましい振る舞いなのか?』
ってことなんだよ。そんなことをしていて子供にちゃんと<手本>を示せるのか? それだけの話なんだ。ましてや自分がルールをちゃんと守れないのなら偉そうにするのもおかしいだろう?
だから俺は子供達や孫達に対して偉そうにしようとは思わない。ただただ自ら手本を示さなきゃと考えて実行するように心掛けてきただけだ。常に完璧にルールを守ることはできなくてもそれを守れない自分を正当化しないようにしてきたつもりだし、そういうのを棚に上げて偉そうにするなんてのはそれこそもっての外だと思ってただけなんだよ。
そうしたら光も灯も陽も和も、
『自分の好ましくない部分を棚に上げて他者に対して高圧的に振る舞うなんてことはしないでいてくれてる』
ってだけだ。俺がそんな<悪い見本>を示さないようにしてたから真似しようがなかったってだけだが。
親が子供に示すべきはそういうことでいいんじゃないか? <優しさ>だとか<愛>だとか<正義>だとか<善>だとか小綺麗な言葉で御大層な美辞麗句を並べるよりもよっぽど<人間らしい>と思うんだよ。
『正しさを標榜しながら自らはデマを根拠に気に入らない相手を貶める』
なんてことを学び取ってほしくない。ましてやそんな自身の振る舞いを『正しい行いだ』と言ってしまうような人間にはなってほしくないんだ。そこさえクリアできればそんなご立派な人間になってくれなくてもいい。必要ない。
『トンビがタカを生んだ』
なんてのも期待してない。トンビの子はトンビでいい。もちろん自力で立派になってくれるのならそれは好きにしてくれていいが。そこで足を引っ張るつもりもない。光がまさに俺を上回る<柱>になってくれそうなのは親として嬉しい限りだ。素直に喜んでる。しかもそれは光自身が多くのことを学び取ろうとしてくれた結果なんだよな。一人の人間として尊敬もしてる。
そしてそんな光の下で育った陽と和も、母親に負けず劣らず立派になってくれる予感がある。まあもしそうなれなくてもそれはそれで構わない。が、今の時点ですでにその片鱗は見えてるよな。<器>を感じる。ちゃんと自分で自分を認めることができてるし。意識して<自己肯定感>を出そうとしなくても素の状態で自分自身を認めてるんだろうなと分かるんだ。




