陽編 穏やかな日常の中での別れ
そんな<命のやりとりが近い環境>でも、同じ人間同士がいがみ合わなければそこまで『生き難い』とは感じないように思う。少なくとも俺はそう感じないし、俺の家族も生き難そうにしてるのはいない。
経済的には恵まれていても『生き難い』と感じる者はいるし、そこまで豊かでなくても人生を楽しめている者もいる。さすがに食うや食わずというほど貧していればさすがに『人生を楽しむ』とはいかないにしても、<飢え>や<渇き>は人間だけじゃなく生き物にとって根源的な<危機感>だから精神的な余裕など到底持てるはずがないにしても、ここはそうじゃないからな。
いつでも確実に食事ができて、ゆっくりと眠ることができて、安らげる。たったそれだけのことが最低限必要なんだというのを心底感じるよ。
だからこそ、<他人を愉しませられるようなドラマチックな展開>は望むべくもないが。
しかし、どんなに穏やかで『生き易い』世界であっても、生きている限りはいつか別れがくる。これだけはどうすることもできない。シモーヌ達は<例の不定形生物>が存在する限りきっと何度でも生まれてくることができるだろう。だがそれは、
<オリジナルの記憶と人格を持っているだけのコピー>
でしかない。厳密には<別の存在>なんだ。シモーヌとシオを見ていれば分かる。二人は<惑星探査チームコーネリアスのメンバー秋嶋シモーヌ>をオリジナルに持ちつつ、すでに<別人としての自我>を確立させている。顕現した時点で分岐が始まって不可逆的な変化が生じるんだ。だから、今のシモーヌが死ねば<俺のパートナーとしてのシモーヌ>とは二度と会うことはできない。それは紛れもない現実なんだ。<死>とはそういうものなんだ。
それが、いよいよ訪れた。凱のパートナーである<旋>に。
朝、彼女は起きてこなかったんだ。明け方近くに彼女の心臓は鼓動を刻むのをやめてしまった。<老化抑制処置を受けてない地球人>に当てはめるとおそらく百歳前後だっただろう。大変な<長寿>だ。もしかするとこれまでで最も長生きしたレオンだったかもな。音や凱はそれに次ぐ<長寿のレオン>と言えるか。
もちろん旋の死を凱は悲しんだ。音に続けてだから無理もない。地球人のそれとは若干異なるかもしれないが、俺のボキャブラリでは<悲しみ>としか表現できない。
もう<遠吠え>と表現するのも難しいようなか細い鳴き声だったが、それだけに胸に来るものもある。凱は旋をそれほど愛していたんだろうな。
穏やかな日常の中での別れを俺達も悼んだ。




