陽編 子供を生んだ意味
『我が子を先に見送るのは親として最大級の不幸だ』
地球人社会ではそんなこともよく言われてたな。俺も、<半分>はその通りだとも思う。だがもう半分は、
『俺の身勝手でこんな世界に送り出した子供達の生き様を見届けられてよかった』
というのも本当なんだ。だから、光や灯や錬慈については俺の方が先に逝ってしまうことになりそうなのを申し訳ないとさえ思う。
こんな風に言うと、
「な~に言ってんのお父さん。お父さんをほっぽって私らが先に逝けるわけないじゃん」
灯がそう言って叱ってくれる。すると光も、
「灯の言う通り。私達はもう自分で自分の人生を生きてる。お父さんの勝手でこの世に放り出されただけじゃない。それは誉達だって同じだよ」
と俺を諫めてくれた。『叱る』のも『諫める』のも、ちゃんと自我を持ち自ら考え理解したことを基に行わないと、ただ『身勝手な感情をぶつける』だけの行為になってしまう。けれど、灯も光もちゃんと考えて分かった上で言ってくれてるんだ。
二人を見てるとつくづく感じるよ。自分の子供がしっかりと自分の人生を生き始めてようやく『勝手にこの世に送り出した』という事実が許されるんだと。そうなって初めて、
『親に勝手にこの世に放り出されたんじゃない』
と子供の側も思えるようになるんだろうし。なにしろ、
『自分の人生を自らの意思で生きてる』
わけだから。
結局、
『人間として子供をこの世に送り出す』
ってのは、こういうことだと痛感するよ。子供が自らの意思で自分の人生を生きられるようになってやっと<子供を生んだ意味>が完成するんだってな。
もちろん何度も言うように『人生に意味を求める』なんてのは人間(地球人)ならではの<まやかし>にすぎないというのは事実なんだろうが、それでも人間(地球人)は<意味を求めてしまう生き物>でもあるからな。敢えて意味を考えるならそういうことなんだろうと俺は思うんだ。
当然、『俺の考えこそが正しい』とは言わないさ。どこまでいっても俺個人の認識でしかない。ただこれも結局、
『将来の面倒に備えて今のうちに手間を掛けておく』
ことを心掛けているからこそのものだという実感はある。目先の面倒を厭って手間を掛けなかった結果、子供が自分の思うように育たなかったことで嫌気が差して『勝手に生きろ』と投げ出してしまうような状況じゃそんな風には思えないだろうし。
ただそういうのは『自分の人生に責任を負っている』とも言い難いんじゃないかとは思う。




