陽編 本末転倒
『使えるものは何でも使う』
とは言ったが、それは決して、
『子供も使う』
という意味じゃない。それじゃ本末転倒だ。あくまで『子供と向き合うために使えるものは何でも使う』というだけのことだ。
そう重要なのは『子供と向き合う』こと。親が自分と向き合ってくれているという実感を得ることで子供にも精神的な余裕が生まれる。これはすでに確認されていることだ。あくまで<子供と向き合うという手間>を掛けたくない親がそれを認めないだけだそうだ。
『極力、面倒なことは避けたい』
その気持ちはもちろん俺にもある。だがそこで言う<面倒>が、<目先の面倒>か<未来に起こりうる面倒>かの違いなんだと思う。俺は未来に起こりうる面倒を回避したいから先に手間を掛けておこうと思うんだ。そしてその結果が今の陽や和や萌花や錬慈の様子なんだよ。
陽も和も萌花も<俺の子供>じゃないが、<俺の子供である光の子供>だから、俺がしてきたことを光が真似してくれて、この結果をもたらしたんだよ。
当然、ある程度のフォローもしつつだが。
『必要なことはもうすでに全部教えたんだから後はそっちで勝手にやれ』
じゃ、いくらなんでも楽観的すぎるだろう。自分が教えたと思っていることがちゃんと正確に伝わっているかどうかを確認しなきゃ、『伝えた』ことにはならないと俺は思う。しっかりと確認するまでは『伝えようとした』だけのはずだ。
『正しく伝わってなきゃ伝えたことにはならない』
はずなんだよ。そこも<面倒>ではある。しかし<伝えたつもりがちゃんと伝わってなかった場合に起こりうる面倒>を考えると、先にきっちりと手間を掛けておきたいと俺は考えたんだ。
『一人前になるまで育てたんだからもう親には責任はない』
なんて考えてたらできないことだろうけどな。
それに、『一人前になるまで育てたんだからもう親には責任はない』とか言いつつ成人し自ら家庭も持った子供に干渉しようとする親も珍しくはなかったはずだ。
『一人前になるまで育てた』のなら、もう完全に任せておけるんじゃないか? それなのに子供が望んでもいない干渉を行うというのは、どうなんだろう。
俺個人はそういうのはとても褒められたものじゃないと感じる。
<身勝手>なんだよ。相手のことを考えていない。しかもやってる本人は『相手のことを考えてるつもり』だったりするから本当に性質が悪い。
だから俺もその辺りについては気を付けようと心掛けてた。
心掛けてたつもりだ。




