陽編 平穏な日常を営む義務
この陽と和の動きは、久利生とビアンカから教わったものだ。厳密には、
<久利生とビアンカの動きをコピーしたドーベルマンMPMのデータに同期したドーベルマンDK-aから教わったもの>
だが。
これは、地球人社会の軍隊でも普通に採用されている方式である。
かつては、
『同じ人間を容赦なく殺せる』
ようにそれこそ憎しみを植え付けることでその憎しみを敵に向けさせる形を取ってきたらしいがそれだと過剰な訓練や戦場でPTSDを患った兵士による問題行動が頻発して、大きなリスクになっていたとのこと。
『極限まで追い詰めた方がいざという時の生存能力は高くなる』
と唱える<自称専門家>も多かったらしいものの、その<見返り>が一般人の平穏な日常を脅かすリスクになってしまっては本末転倒も甚だしい。実際、
『極端に戦場に過剰適応してしまった兵士が平和な社会に馴染めなくてトラブルを引き起こす』
なんてフィクションもいくつもあったそうじゃないか。フィクションの中では結果として『その兵士が活躍して大きな事件から社会を守る』なんて結末になったりするしそれまでの経緯も軽く描かれていたりもするが、それこそコメディタッチで描かれてたりするが、現実じゃそれこそ人命に関わるようなとんでもないものだったりしたよな?
フィクションの中ではそれで済んだとしても現実ではそうはいかない。兵士だって任務を離れれば<一市民>として平穏な日常を営む義務がある。衝動に任せて誰かを傷付けるなんてのは言語道断だ。それを<規律>という形で制御しようとしても人間ってのはそんな単純なものじゃないのは分かり切ってることだろう? 規律ですべてをコントロールできるのなら犯罪なんてのは存在しないわけで。
だから、ロボットが生身の人間と同等以上の働きができるようになってからは<生身の兵士>はあくまで<戦場におけるオブザーバー>的な役割になり、積極的に相手の命を奪うことも自身の命を危険に曝す必要もなくなったんだよ。
ただ、久利生やビアンカのオリジナルが現役の軍人だった頃はそういう<パラダイムシフト>の過渡期だったこともあり、まだまだ生身の兵士が前線で自らの命を危険に曝して任務をこなすのは当たり前だった。
しかし久利生もビアンカもそういう自分達が経験したものを<最善のもの>と拘るばかりじゃなくて現状に則したやり方を取り入れる柔軟性も持っていることで、
『相手を確実に殺す』
ことよりも、
『結果として自分達の安全を守る』
ことを優先した動きを考案してくれたんだ。




