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ルイーゼ編 学習によって得るもの

<自分の間違いをどれだけ論理的に説明されても決して認めようとしないしそもそもそれができない人間>


そんな人間は、そういう部分を補って余りある<何らかの才覚>があるからこそ、


『価値がある』


と思われるんじゃないのか? なのにそれがない人間が、


『<間違ったこと><好ましくないこと><適切とは言い難いこと>をしていてその点について指摘されても自身を省みない』


なんて振る舞いをしていて『生きる価値がある』と他人から思ってもらえるとか本気で考えてるのか? ただの凡人に過ぎす、仕事をしていても税金を納めていても所詮は他の人間で代わりができてしまう程度で?


どうしてそこまで思い上がれるのか俺には理解できないよ。俺はただ、


『価値のあるなしで命を語ることの不合理さ』


を感じるからそんな理屈で<命の価値>を語ることはしたくないし選別もしたくないというだけで。それを認めれば<俺の大切な人>が見ず知らずの赤の他人に勝手に価値を決められてしまうのを認めなきゃいけなくなるからな。そういう真似を認めたくないからこそ俺も他人の命の価値を測るような真似をしないというだけなんだ。


『自分は他人の命の価値を勝手に測っていいが、他人が自分や自分にとって大切な人の命の価値を測るのは許さない』


なんて身勝手が通じると思うか? そんな身勝手を許したいと思うのか?


『他人の身勝手は許せない』


と感じる人間が多いからこそそれをネットなんかで発散してるのが多かったんじゃないのか? そう思うんだよなあ。


(ほむら)(さい)の命も、ルイーゼと斗真(とうま)の子供の命も、その価値を勝手に測られたくないんだよ。なのにその俺が他人の命の価値を勝手に測ってたらどう感じる?


<想像力>というものを持つ人間ならその程度のことは想像できても何の不思議もないと俺は思うんだ。そしてそれを想像すればこそ、『何かの役に立つかどうか?』で誰かの命の価値を測ろうとは考えない。考えないようにできる。もし頭によぎらせてしまうことがあっても肯定はしない。そしてそんな俺自身の姿を子供達に示していくことで、子供達が誰かの命の価値を勝手に測るような振る舞いを<当然のこと>だとは認識しなくなる。


とは思わないか?


と言うかそもそもそんな認識自体が生まれる要素がないよな。<おとなしい><陽気><短気>などの<気質の傾向>については<生まれつきの資質>も大きく影響するかもしれないが、<概念>なんてのは基本的に<学習>によって得るものだろう?



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