ルイーゼ編 意図的に矯正する必要は
だからこそ水帆のことも、俺とシモーヌを<親>と認識してくれていなくても構わないんだ。彼女の<事情>を承知した上で受け入れるのを決めたのは俺とシモーヌだしな。
その水帆が<親>だと認識してるのは<ライラ>と<オルト>だが、これは以前にも触れたと思うが<個体名>じゃない。水帆の世話を担当するホビットMk-Ⅱに与えられたいわば<役職名>だ。そしてライラとオルトはちょくちょく交代している。見た目こそまったく同じものだが、別の個体だったりするんだよ。
なのに水帆はそれに気付いていないようだ。この辺りは、<ドーベルマンDK-a伍号機>を明確に他のドーベルマンDK-aと区別して認識している按や、<ドウ(ドーベルマンMPM十六号機)>以外の個体を受け入れようとしないキャサリンとは違っている。しかもキャサリンはなぜかドーベルマンMPM十九号機だけを特に毛嫌いしていて、いまだに見掛けると襲い掛かってきたりもするから決して近付かせないようにしてるしな。
ただこれはもしかすると、俺の認識の方が実は違ってるのかもしれない。水帆も本当はライラとオルトが時々変わっているのに気付いていてその上で『そういうもの』と認識してる可能性も否定はできないと思うんだ。
もしそうだとしたらこれは俺達のような地球人にはまったく理解できない感覚だろうな。なにしろ、
『自分の親が見た目だけはまったく同じに見える他人に入れ替わっているのに気付いていてもそれ自体を当たり前のこととして受け入れてる』
って話なわけだからな。しかもそれについて当人は疑問にさえ感じていないと。こんなこと、ピンとくるか? 理解できるか?
まあその辺については水帆の実際の知能やメンタリティが『地球人の三歳児並』であることとも相まって『あくまで今の時点では』という話である可能性も否定できないものの、三歳くらいともなればなんとなく<自分達以外の親子>のことも分かってきて比較したりするようになったりってのも珍しくない気がするんだが、水帆の場合はそれすらないんだ。
結論を出すのは時期尚早だとは思いつつ、もし本当に水帆がホビットMk-Ⅱの個体を認識した上でライラとオルトを<自分の親>だと考えているのなら、実に興味深い事例だと思う。当然、シモーヌもシオもレックスも関心を抱いてる。
「だからこそ水帆の認識を意図的に矯正する必要は感じないね」
とは、レックスの弁。地球人社会であれば『何を言ってるんだ!?』と非難されるかもしれないが、ここは地球人社会じゃないからな。




