ルイーゼ編 ただの傾向
<傾向>は所詮、ただの傾向でしかない。
<メイトギアも導入できないような貧乏家庭>
で育った子供が犯罪に走る確率は明らかに高いという有意なデータがあるそうだ。しかしそれは決して百パーセントじゃない。全員がそうなるわけじゃない。
そもそもこの世界というのは非常に複雑に様々な要素が絡み合って出来上がっているんだ。なのに<家庭環境>という一つの要素だけでどういう人間に育つかが決まってしまうなんてことが有り得るはずがない。
『子供がどういう人間に育つかは親の影響が大きい』
と俺は思ってるが、
『それだけで決まるわけじゃない』
のも分かっている。承知している。俺の子供達も全員同じ性格や考え方を持って同じような生き方してきたわけじゃない。その事実一つを取っても『それだけで決まるわけじゃない』のはよく分かるというものだと思う。
あくまで、
『大きな原因の一つになりえるからそのことをわきまえていなきゃ大人とは言い難いんじゃないのか?』
というだけの話だ。俺自身はそれを心得ていたいというだけの話だ。
だからこそ、
<物事を深く考えることができないタイプ>
の人間は目先の感情に振り回されてやらかすことがあるかもしれないから気を付けなきゃな。そして親がそういうタイプだったら子供もそれを真似る可能性は高くなるだろうな。これも事実だと思う。
しかしだからといって『生きる価値もない』なんてのもナンセンスだろう。自分や自分の大切な人の価値をどこかの誰かが勝手に決めるなんて俺は認めない。認めたくない。だったら自分も他人の価値を勝手に決めるのは避けた方がいいんじゃないのか?
俺が基本的に自分自身に言い聞かせているのはそういうことだ。結果として平穏に暮らしていける、他者との衝突を概ね避けていける有り様を心掛けるためのものだ。他人を自分にとって都合のいい型に押し込めて操るのが目的じゃない。
異なる遺伝子を掛け合わせることで繁殖するタイプの生き物である以上は個体差があって当然だし、むしろ個体差がないのは生存戦略として具合が悪い。
人間(地球人)の場合は<秩序>を優先しようとして個体差の排除を試みた時期もあったらしいが、それがもし成功していたら現在の繁栄はなかっただろうとも言われている。何しろ人間(地球人)が宇宙にまで生息範囲を広げていくための諸々の発明をしたのは、揃いも揃って<個性の強すぎる人間>だったらしいし。
『為政者が統治しやすい型にはまった人間からは突飛な発想は出にくい』
のは事実なのかもしれないな。




