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ルイーゼ編 自由

しかしそういう諸々は、ルイーゼには何の関係もないのかもしれない。彼女にとっては自分が何者であるかすらさほど重要ではなく、ただただ自分が関心あることに集中していたいだけなんだろう。


オリジナルの<ルイーゼ・バーンシュタイン>にもその傾向は強く見られたそうだ。かなり複雑な出自を持ちつつそのこと自体は本人にとって些事も些事であり、気にしている様子は微塵も感じられなかったと。


そんなことよりも鉱物に触れられているのが至上の喜びなんだとか。そういう意味でも、ルイーゼは、


『オリジナルと何も変わらない』


とのこと。それこそシモーヌとシオのように同じオリジナルを持つ者同士が同時に現れたとしても、そんなことさえ彼女には些末な問題になってしまうらしい。


ある意味では、俺達の中では最も<自由>を体現しているのかもしれないな。


まあそのこと自体は逆に、


『自身の関心事に縛られている』


とも言えるだろうから、『真に自由』というわけでもないんだろうが。


さりとて<人間社会における自由>とは、


<自分が何に縛られるかを選べる自由>


のことでもあるわけで、だから決して不自由ではないんだと思う。


地球人の中には自由というものを、


<ただただ自分勝手に振る舞えること>


だと思っていたりする者もいるらしいが、と言うか確かにいるが、そんな奴さえ、


『自分勝手に振る舞いたいと考える自分自身に縛られている』


わけで、本当に自由でいられている者なんて実際にはいない。だから<自由という概念>に縛られること自体が愚かなんだろうさ。


『自分はこれに縛られたい』


と自らの意思と責任で選択できればそれで十分なんじゃないか? どう足掻いたって自分自身の振る舞いが招いた状況から逃れるなんてできないだろうしな。


誰かから疎まれたり恨まれたりするのもそうだ。独裁者なんかはそういうものすら力で抑え付けようとしてきたらしいものの、それに完全に成功した者はいないんだろう? いないからこそ結局は民主主義社会に落ち着いているわけで。


民主主義社会というものも決して完璧ではないとはいえ、最大公約数的に最も恨みが溜まりにくい、と言うか為政者に憎しみが向き難い社会形態なのかも。


『憎しみの対象が分散しやすい』とでも言うべきか。ある意味、芸能人やスポーツ選手といった著名人が<憂さ晴らしの対象>を押し付けやすいのかもしれない。


<表現の自由><言論の自由>と言っておけば、攻撃しやすい相手を勝手に見付けてそちらにリソースを割いてくれるわけで。



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