メイフェア編 精神的余裕が重要
<人間(地球人)>は確かに、冷酷で残忍な面もあったりするだろう。だからこそそういうのが<普通>だった時代もあったんだろう。<加害行為>を<当然の権利>として行使してた時代もあったんだろう。
だがそれ自体は、
<人間(地球人)も動物の一種>
だと考えれば別に不思議でも何でもない。<冷酷>も<残忍>も、所詮は人間(地球人)が自分達を律するために作り上げた<後付けの概念>だろうからな。野生の生き物にそんな概念は存在しないわけで。
しかし人間(地球人)の場合は、何度も言うように<力のアウトソーシング>というものを発明してしまったがゆえに野生の生き物のままではいられなくなってしまったんだろうな。自分の感情のままに力を行使することができなくなってしまったんだ。そんなことをすれば自らを滅ぼしかねないことを理解してしまったんだろうさ。
だからこそ自らを律するための<理屈>が必要になった。
『それは人間として好ましくない振る舞いだ』
と言葉で説明するために、<言葉で表せる概念>を作る必要があった。その概念に沿って考えても、光も灯も十分に<人間らしく>いてくれている。
<自分達を害そうとする脅威>
に対しては躊躇うことなく容赦なく対応できるのと同時に、同じ人間に対しては気遣いと労りを持ってくれてるんだ。それがなければ光も灯も、同じ人間であっても平然と害することができるようになってただろう。
と同時に、
<後付けの概念を遵守していられるだけの精神的余裕>
も大事だと実感するんだよ。
『<自分達を害そうとする脅威>に対して冷酷で残忍でいられるのも、結局はそんなものにまで気遣いや労りを向けていられるほどは余裕もない』
のが事実だと感じるし。まあ正確には、
『同じ人間に対して気遣いや労りを向けることにリソースを割いている』
と言った方が近いか。おかげで、そこまで追い詰められていなければ<自分達以外の生き物>に対しても鷹揚でいられるのもまた事実。そういうバランスをしっかりと認識していないと、
『人間として自然と共生する』
のは難しいとも痛感する。『自分達にただ都合が悪いから』というだけの理由で、逆に『自分達が利用したいから』というだけの理由で、他の種を絶滅にまで追いやってしまうことができるのも<人間という種>だしな。
自然と共生できるだけの<精神的余裕>が重要なんだよ。
<目先の厳しさ>なんてものに囚われてそれをありがたがって精神的余裕を削り取れば、そのしっぺ返しが人間自身に返ってくるんだろうさ。




