メイフェア編 残酷で残忍な振る舞い
『他人を気遣う』
『他人を労る』
たったそれだけのことすらやりたがらない人間は少なくない。しかも『それをしない』だけならまだしも自分以外の誰かが気遣ってもらえる労ってもらえることに嫉妬して邪魔さえしようとする。難癖をつけたりもする。それも現実だ。
列車やバスの<優先座席にまつわるあれこれ>なんかはその典型だろうな。俺が知る限りじゃそこまで混雑することが滅多になくなったから列車やバスに乗って座れないなんてのは減ったそうだが、それでもなおわざわざ優先座席を占拠する輩はいるそうだ。あれこれ屁理屈を並べて。優先座席の設定と運用は鉄道会社やバス会社の専権事項だってのに、
『自分は客だから』
と思い上がってケチを付けるだけじゃなく、優先座席を必要としてる者に対して<妨害行為><嫌がらせ>までするのがいるという。
意味が分からないな。
だがそれ自体、そういうことをせずにいられない人間に<精神的な余裕>がないからこそ自分以外の誰かが気遣ってもらえる労ってもらえることに対して嫉妬するんだろう。それこそ『厳しくされた』人間は自分以外の人間も同じように厳しくされることを望んだりしないか?
まあその『厳しくされた』というの自体がただ単に『気遣ってもらえない』『労ってもらえない』だったりしたんだろうな。だから、
『厳しくする』=『気遣わない』『労らない』
ということじゃないと理解できないというとかもしれない。
『気遣ったり労ったりしないことを<厳しさ>だと思い込んでいる』
とでもいうか。
まあそれも結局はそう思い込んでる当人が周りの身近な人間から気遣ってもらえなかった労わってもらえなかったからなんだろうけどな。だから、
『厳しくするというのは<気遣わないこと><労らないこと>じゃない』
というのを学べなかったんだろう。そう考えると憐れでさえある。しかしそれは結局のところただの<甘え>だと俺は思う。自分がそうしてもらえなかったからといって他人にもそれを押し付けようだなんてのは。
だから俺は、<人間>として生きることになる光や灯や錬慈に対しては、『厳しくするというのは<気遣わないこと><労らないこと>じゃない』というのを自らの振る舞いで示していこうとしてたんだ。そして幸い、光も灯もそのことを感覚として理解してくれてると思う。
そうじゃなきゃ、光も灯もどちらかというとかなり野生寄りのメンタリティを持ってる以上は他者に対して相当残酷で残忍な振る舞いをするようになっていても何もおかしくなかったさ。




