メイフェア編 残酷で過酷で厳しいもの
どんなに綺麗事を並べても、
『思い遣りが大事』
『優しさが大事』
と唱えても、<生きるという現象>そのものは残酷で過酷で厳しいものなんだ。
人間はいつか死ぬ。どんなに大切に想ってる相手であってもいつか死ぬ。自分の前からいなくなるし、逆に自分がいなくなる場合もある。これは今の地球人社会でも変わらない。人間が<人間という生き物>である限りはこの現実からは逃れられないだろうさ。
加えて、日常生活の中でも<つらいこと><苦しいこと><嫌なこと>は結局は溢れてる。消えてなくなったりはしない。生きるというのは本質的にそういうものだからだ。
ゆえにわざわざ<厳しさ>なんてものを前面に押し出して他人と接する必要なんかない。いちいち用意しなくてもすでに現実に存在する厳しさに目を向ければそこから学べることがいくらでもあるだろ。
俺はそう思うしそう実感してきた。どんなに人間の間だけで<思い遣り>や<労り>を心掛けても、現実は決して甘くない。
『他人に優しくされたら腑抜けた』
なんて奴もいるにしても、それはそいつが『現実を見てない』からだとしか思わないな。
仕事でミスをしたことをきつく咎められなかったとしても、ちゃんと現実を見ていたら自分のミスがどんな影響を及ぼしたか分かるだろう? それを分かっていればきつく咎められなくても反省はできると思うし、俺の周りにもそういう人間はいた。当時はそんなことをいちいち気にしてる余裕がなかったから考えてなかったが、今から思うとそういうことだよな。
<叱られなければ反省できない奴>
は所詮は『その程度』ってことじゃないのか?
なのに『他人に厳しくしたい』なんて奴は、それこそ『自分に甘い』だけだと思うんだよな。
光も灯も、そういうところはすごくちゃんとしてる。俺が頭ごなしに叱らなくてもしっかりと自分で自分を見ることができてる。俺自身がそれを心掛けるようにしてたから、光や灯の前でそう振る舞うことを心掛けてたから、それを真似てくれているだけだと思う。
『自分に甘く他人に厳しい』なんてのは、結局は親のそういう振る舞いを見てきたから子供が真似てるだけだろうとしか思わない。<自分に甘い親>の姿を見て子供も、
『自分に甘く他人に厳しいのが当然』
と思ってしまうんだろうな。
もちろん俺だって自分に甘いさ。ただ、それを自覚してるからこそそんな自分を棚に上げて他者に厳しくしようとは思わないってだけだ。これは、<不定形生物由来の怪物>に対しても同じだな。




