メイフェア編 存在の本質
『自分じゃない人間が永久に自分にとって都合のいい存在でいてくれる』
そんなことが有り得ないのは、人間(地球人)という生き物を客観的に見れば誰でも分かることだろう。その中でごくごく限られた<美談>に注目すればそういう事例もないわけじゃないように思えるにしても、<美談>が本当に他人から見える通りのものであるという保証も実はないしな。
『美談として語られてるものが実は』
なんて話もありふれていたはずだ。
だがそれは決して<悪いこと><良くないこと>じゃないんだよ。生き物である限りは<変化>し続けるものなんだ。昨日の自分と今日の自分がまったく同じものであるわけじゃないのも事実だしな。あくまで『連続性がある』だけでしかない。
しかし『連続性がある』ということ自体が、<不変>というものを否定してるんだよなあ。
だが俺はそれでいいと思ってる。
『変わらないものなんて存在しない』
のが<存在の本質>だと感じるんだ。
これは、ロボットでさえ同じ。部材の耐久性が向上し、耐用年数そのものも数百年レベルになってもロボットもまた<劣化という変化>とは無縁でいられない。あくまで生き物である人間に比べればその変化量が少ないというだけだ。ゆえにメイフェアも決して永久不変というわけじゃない。
ただ、<パパニアンの命のサイクル>と比較するとまったく噛み合わないがゆえにほとんど変化してないように見えるだけだな。
加えて人間社会だと『変化しない』からこそ<システムの変化やバージョンアップ>に対応できなくなって<レガシー化>し商品価値が失われていくから、『変化しない』のがいいとばかりは言えないんだよ。
とは言え、ここ惑星朋群においてはその辺りは事実上不可能に近い。現状ではあくまでこれまでAIやロボットが辿ってきた道をなぞっているだけで、<更新>されているわけじゃないんだ。何百年後か何千年後かにそれが追い付いた時にはメイフェア達がレガシー化することはあるにしても、おそらくさすがにその頃にはもうメイフェア達自身が存在してないだろうさ。部材ごとの耐久性はともかく、ロボットとして成立させておくのは無理だろうし。
それでも、誉や轟が生きている間は問題ないのもまた事実。そしてロボットである彼女は、変わることなく誉や轟に尽くしてくれてるんだ。
本当に頼りになる。
そして、彼女が誉に尽くしてくれる時間も、残り少なくなっているのをひしひしと感じる。誉自身の衰えが日に日に進んでいるのが分かるんだよ。




