焔と彩編 結婚、おめでとう
『子供達は俺とは別の命だ』
その現実を認めればこそ俺は、子供達がどういう人生を送りどういう最期を迎えようともそれを受け入れなけりゃと思ってた。それを受け入れないというのは、子供達自身の尊厳を蔑ろにする行い以外の何ものでもないと思う。
だったら、新の最後についても受け入れて受け止めないとな。そのためにも陽と和と麗の結婚をちゃんと祝福する。事情を理解できない麗については仕方ないとしても陽も和も自分が今ここにいられているのがなぜか分かってくれている。
それが分かるならもう<大人>だよな。
「結婚、おめでとう」
親族を代表し俺が改めてそう告げて、
「ありがとう、祖父ちゃん」
「ありがとう」
陽と和が応えてくれたことで、結婚式は無事に終了した。時間にして僅か十分ほどではあったものの、紛れもなく<結婚式>だったよな。本質的にはこんなもんでいいんじゃないかなと個人的には思う。
むやみやたらと親族の挨拶に時間を割くのはなんか違うんじゃないかと感じるんだよな。まあ地球人社会における<結婚>ってのは、
<家と家の繋がり>
だと長く考えられてきた所為もあるんだろうが。ここでもいずれはそんな考え方が芽生えていくかもしれないが、それはどうしても、
『<一人一人の人間>というものを見えにくくする』
という弊害もはらんでる気がするのもまた事実ではあるし、できればなるべく避けていきたいよ。
そんなことも思いつつ、ここからはただの食事会だ。麗もようやくいつもの雰囲気に戻ったと感じたか、自分の好きな果実を手に取ってもりもりと貪り始めた。
<人間社会の都合>というものを理解できない彼女ではあるものの、
『純血のパパニアンとして生まれた』
こと自体は、彼女には何の責任もない。その彼女を身内として受け入れたのは他でもない俺達だ。俺達にこそ<責任>がある。それをちゃんとわきまえて、その姿を手本としてこれから生まれてくるであろう子供達に対しても示していかなきゃいけない。
何より<手本の示し方>というもの自体を、陽と和にも手本として示していかなきゃいけないしな。それを学び取ることで二人も次の世代に対して手本を示していけるようになるんだし。
そこを疎かにしてちゃダメだろうさ。
そこを疎かにするから、
『今時の若いもんは』
みたいな話になっていくんだろう。手本を見せるべき立場の者が、範を示すべき立場の者が、そもそもそれをちゃんと見せられてない示せてないからこそ若い世代もそれを学びようがないんだろうしな。




