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焔と彩編 肉体の成長と精神の成長

『覚えなきゃいけないこともずっと少ない』


ということは、


『大人として当然のように知っておかなきゃいけないことがずっと少ない』


わけで、そうなるともちろん、


『それを覚えるのに要する時間もずっと少なくて済む』


ということでもある。だから野生の獣人達は、満年齢で十歳にも満たないうちに成体(おとな)として巣立っていくこともできる。


ゆえに人間(地球人)とはそもそもの大前提があまりにも違い過ぎる。となれば人間(地球人)が口出しするなんてのは見当違いの的外れ以外の何ものでもないさ。


人間は人間のことをしっかりと注視し考えることを心掛けてればいいんだと俺は思うんだよな。


となればしっかりと考えなきゃな。


<肉体の成長>と<精神の成長>。それらのバランスを考え、最大公約数的な<基準>を設けなきゃいけない。


てか、<基準>ってのを設けなきゃいけないってのがまず人間って生き物の特徴なのかもな。


だいたい、野生の世界には<明確な基準>なんてものが存在しない。<成人年齢>なんてものを考えなくてもある時点で<成体(おとな)>になってそれを周囲が認めて<成体(おとな)の仲間入り>を果たす。


ゆえに『誤差も大きい』という面もある。早々に成体(おとな)と認められる場合もあれば、いつまで経っても認めてもらえない場合もある。単独で生きる種の場合には未熟で非力な者はただ命を長らえることが難しいだけだが、群れを作る種の場合にはそれこそ<足手まとい>になるから、群れに入れてもらうこともできなかったりするだろうさ。


それだけの話だ。


対して人間(地球人)の場合は、大人として十分な力を持っていなくても、守ってもらえる。社会で生きていくことが許されてる。


これは、


『他者に勝手に命の価値を決められる』


ことを回避するためのものだよな。人間ってのはなまじ自分であれこれ考えることができてしまうだけに、


<ぼくがかんがえたさいきょうのしゃかい>


なんてものを思い付く者もいて、それを他者にまで一方的に押し付けてくることがある。しかもその考えにそぐわない者の命の価値を低く見て、排除しようとさえ考えたりもする。


でもな、<ぼくがかんがえたさいきょうのしゃかい>なんてものは、所詮、個人的な小さな価値観で考えられたものでしかないんだよ。


そんなものに振り回される側としては<迷惑千万>なんだ。


そうして他者の命の価値を決めてしまうことを認めてたら、地球人社会なんてものはこんなに大きくならなかっただろうさ。


むしろその前に瓦解してた可能性が高いだろうな。



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