焔と彩編 命は金で買える
<誰かにとっての個人的に特別な存在>
それはもう、日常的に当たり前のように実感できても何の不思議もないことだと俺も思う。何かの<イベント>じゃなく、それこそ普段の生活の中でも。<家族>であったり、<想い人>であったり。
むしろその実感があればこそ人間は自我を保つことができるんだろうな。
対して人間以内の動物は、<自我>というものにそこまで拘ってる印象も明らかにない。
もしそこで、
『人間以外の動物にも自我はあって、それを尊重するべきだ!』
とか言うのであれば、その動物本来の生息環境から引き離して、生まれた時から人間の中で育てて、その動物本来の自我を育てずに、まるで<物>のように愛玩するのはおかしいだろうさ。
俺はそう思うんだが、それでも、
『うちのコは自分で選んでくれた! うちのコの意思を尊重してるだけ!』
と言うかもな。そんな風に思ってるなら何を言っても聞かないだろうし、地球人社会における法に反しているのでもなければ止めることもできないしな。
生きた動物をペットとして飼うことについてハードルは非常に高くなったものの、あくまで許可を得るのが難しくなったというだけで、別に今でも違法というわけじゃないんだ。
きちんと飼育環境を整えて所定の手順を踏めばちゃんと許可は下りるんだよ。まあそれと同時に、
『<命>に対して責任を負う』
ということになるから、しっかり責任を果たさないと当然のこととして罰則もあるけどな。
だがそれは、むしろそうじゃないとおかしいだろう。
軽々しくペットを飼うことの方がどうかしてたんだろうさ。
まともに責任も負わず命を愛玩してそれで、
『命を学ぶ』
とは、なんの冗談だ? 意味が分からない。それで学べる<命>とはなんだ?
『命は金で買える』
と学ぶのか?
『死ねばまた金で次の命を買えばいい』
と学ぶのか?
先にも触れたとおり、生きた動物をペットとして飼うこと自体は、違法でも何でもない。それに今は原則として『金で買う』ことはできない。そもそも『売って』ない。
金銭で購入することは基本的に禁止されている。誰かから譲り受けるか、保護された動物を迎え入れるかのどちらかだ。
とは言え、誰かから譲り受ける際に儀礼的に<謝礼>という形で金銭の授受があるのも事実。だから実質的には今でも『金で買ってる』という一面は確かにある。
まあ、<ブリーダー>も、育てるには金がかかるしな。その一部だけでも負担してもらえれば助かるというのもあるだろうさ。




