焔と彩編 一人前の人間の有り様
俺が毎度毎度こうやって話が逸れていくのだって、
<一人前の人間の有り様>
だと思うか?
『要点をきっちりとまとめて横道に逸れず端的に的確に相手に伝えることができる』
ってのも、<一人前の人間の姿>だと俺は思うんだよな。
なにしろ人間(地球人)は、
<言葉を操る動物>
だ。その言葉を適切に使えるってのは、人間(地球人)にとって大きな<力>の一つじゃないか?
なのに俺はすぐに話が脱線してしまう。これは決して褒められたことじゃないと思うんだよ。
だから俺は自分を<一人前の大人>だとは思ってない。なるべくそうあろうと心掛けてるだけだ。
そんな俺が、焔や彩が子供を作れないというだけで、
『一人前じゃない』
だとか、おこがましいにもほどがある。
それに何より、俺は二人が幸せそうにしているのを見ているだけでも気分が良かったんだよ。
親として。
ああ、親として二人の様子を見ているだけで満たされた気分になれるほど焔と彩は仲が良かった。
そしてこの時点では、新と凛もすごく仲が良かったよ。
それぞれ常に一緒にいて、毛繕いをしたり睦み合ってたりした。あんまりイチャイチャイチャイチャしてたもんだから、内心では、
『もうちょっと抑えたらどうだ?』
なんてことも思ったりするんだが、それはあくまで人間(地球人)の感覚だからな。一方的に押し付けることはできない。そんなのは彼らを蔑ろにする行為だし、そういう営みについても、過度にタブー視するんじゃなくて、あって当たり前のものとしつつ、その上で節度をわきまえるのを基本としていきたい 。
隠されているからこそそこにエロスを見出してしまうというは確かにあるしな。あんまりあけすけにされるとエロスを感じなくなったりするんだろう?
まさしくそれが狙いだな。そもそも野生の獣は普段から隠していないが、実にあけっぴろげだが、それでもパートナーと認めた相手とは普通に励むわけで。結局のところパートナー相手にそういう気持ちになれればそれでいいはずじゃないのか?
言い方を変えれば、
『どんなにあけっぴろげでもあけすけでも、そういう気持ちになれる相手こそがパートナーだ』
ってことにもなるか。
これは、陽達もそうだ。走を悼むためにコーネリアス号に行った時にも、大浴場に和や麗と一緒に当たり前のように入った彼は、普段は二人を異性として特別視してるわけじゃない。けれど、和や麗とパートナーになることを決めたんだ。
明日にはささやかな<結婚式>を行うことにもしている。




