凛編 別の存在
と、少し話が逸れたが、とにかく<親>と<子>はあくまでも、
<別の存在>
なわけで、まったく同じ生き方をできるわけじゃないし、まったく同じ能力を持ってるわけでもない。だから走や凱とまったく同じようにできなくて当然だ。
<走と凱の群れ>についても、今の形については今の時点だけのそれだと俺も思う。いずれは分裂するかもしれないし、もしかするとそれこそバラバラになって消滅してしまう可能性だって否定はできない。
だが、もしそうなったらそうなったで、それもまた<摂理>ってもんなんだろうさ。今の形はあくまで、
『走と凱がいたからこそのもの』
だと考える方が自然だと思う。
どんなものでも<永久不変>というわけにはいかない。ましてや<群れ>なんてものはその時点で群れを形成している個体群の資質に依存してるだろうしな。
『バラバラになって消滅してしまう』
のは、俺としても非常に残念ではあるものの、それを無理に維持しようとすれば必ずどこかに歪みができると言うか、しわ寄せがいってしまうんだろう。
そしてそれは思わぬ問題を生じさせたりもするだろうからな。あまり目先のことにばかり拘って先々に大きな厄介事が引き起こされたりするのは避けたい。
もちろん目先のことも疎かにするつもりはないものの、そればっかりというのはな。
何事もバランスが大事って言うしな。
加えて、極度に不自然にならないようにも心掛けなきゃってことだよ。だからこそ、
『親と子供は別の個体である』
という事実を蔑ろにはしないんだ。親と子供を同一視するなんてのは、不自然極まりないだろ。
あまりにもおかしい。
ゆえに、成り行きに任せる。なるようになるだろうし、なるようにしかならない。
それでいいと考えてる。
となれば、凛の群れについてもそういうことだよな。
命の危険があるようなら干渉もするが、
『凛が作った群れを維持すること自体は目的にしない』
のを忘れない。
大事なのは<形>じゃない。凛や侑や朗が拘るなら無下にはできなくても、当人が拘ってないんだから親が余計な真似をするのも違うだろう?
地球人社会じゃ、親の過干渉も問題になっていた。幼い子供に対する過干渉も大きな問題だったが、すでに成人して独立した子供に対するそれも、昔に比べれば随分とマシになったとも言われつつ、それでも親の過干渉に反発する子供はいる。
実年齢で百歳以上になってから、それだけの人生経験を積んでから親になったって人間でも子供との関わり方で失敗したりもするんだから、人間ってのは本当に業が深いよな。




